たった49秒の魔法が解けないというお話(ドレスコーズさんとの出逢いについて)
みなさまこんにちは。あやめと申します。
8月27日にドレスコーズさんのフアン歴3カ月を迎えるにあたって、その前後で記事を公開してみます。本稿が一本目になりますので、ご笑覧ください。
ほか、三本のnoteはこちら。
だいたいこういうものは、スタートしただけで息切れするものと相場が決まっているので、肩の力を抜いて素直にやっていきたいと思います。らんらん。
今回は表題の通り、ドレスコーズさんとの出逢いを振り返っていきます。
確かその夜はTipsy Bartenderを観ていた
確かその夜は、カリフォルニアのバーテンダーさん(@TipsyBartender)が、クーラーボックスやバケツやシンク(!)いっぱいに、凄まじい量のカクテルを作るショート動画を観ていました。
スワイプ、スワイプ、スワイプ、別に、なにか、見つかる、訳でも、ないけど、スワイプ。
「ねえ!」
あれっ? 突然、歌が飛び込んできました。
「ねえ! メリー・ルー」とその人は両手を広げた
「ねえ!」と両手を広げるあのカットから始まっていなければ、他のショート動画のようにスワイプしていたかもしれないと思うと、少しゾッとします。
リズム、メロディ、声色の自由度から、まずはシンガーソングライターの方かなと思いました。そして発声の仕方や所作には、舞台のご経験もありそう。
「ねえ Mary Lou」声は泣いていないのに、瞳に映った照明が揺れているような。ど、どうされたのかな。そんなに悲しい歌なのかな。
薔薇の花束を左手に抱いたまま、ショートボブの男の人は「ずっと手をつないでいよう」とひざまずいて、客席にゆっくりと手を伸ばします。
「○○したい」「○○になりたい」「○○しよう」と言う瞬間、人はそれを決定的に欠いている。ああやっぱり、これは悲しい歌なんだ。
「夜が来て誰かが僕らを探しても」男の人の(くださいな)という指先に促されて、ゆっくりと薔薇の花が差し出されました。
この方のファンダムは、とてもあたたかい信頼関係で成り立っている。きっとお客様もこの方の作品の一部なのだ。
これは、間違いない。私の大好きな、ファンの皆さんによるカバー動画がめちゃくちゃ上がってる系アーティストさんに違いない。公式動画のコメント欄にも、自分の人生とその楽曲がシンクロした瞬間についての、愛ある寄せ書きがたくさんあるに違いない。
「──そしてもう、どこへも帰らない!」う、うわあっ。本寸法のつり眉たれ目さんだっ。潔い黒のアイラインは、よいものだ。おひげのあとをメイクで潰さないところも素敵です。あれ、もうだめかもしれない。いや、降参するにはまだ早い(15秒しかたってない)!
天使か悪魔か白昼夢か
「Mary Lou, 夢のような甘い口づけを大人は知らない」そう歌う声のなんて甘いこと。マリアージュフレールのマルコ・ポーロみたい。あれは、お花に蜂蜜にバニラに、およそ思いつく限りの甘みを挙げても足りないほどの、夢のような香りです。
いたいけな少年と少女の歌なのに、目の前の男の人は薔薇をひしと抱きしめて、どこかこちらを騙しているような、白昼夢の中から叫んでいるような、或いは胃の奥から絞り出す怒りのような……。
「僕だけの Mary Lou」ふたりを取り巻く状況に心底絶望しているのか、目元が陰ります。ついさっきまで、長い前髪の中でも瞳がギラリと光っていたのは、「大人は知らない」が故の怒りなのでしょうか。
ふたりの愛の真贋も見極められないような、審美眼のない大人(理解のない人々)どもには、僕らの口づけの甘ささえ、分かりやしないのだ。悔しい。憎い。いつか僕らの愛を証明してやる。復讐してやる。それが襟元をぐしゃりと握った拳の強さなのかしら。
その時点で、この物語を理解してみたくなっている自分、はたしてこの男の人が天使か、悪魔か、白昼夢の只中にあるのか、分からなくてもいい(どれでもあって、どれでもないかもしれないし、どれでもよい)と思っている自分に気づき、ああきっと、私はこの方のファンになるんだなあと直感しました。
こんなに抱き合っても背中は寒いということ
「Mary Lou, 抱きしめたぬくもりに二人は夜を重ねて」気だるげな目元がどんどん重くなっていき、前髪の向こうに見えなくなっていく。観客への説明もそこそこに、歌は二人の世界へと閉じていきます(そこそこと言っても、まだ40秒だよ)。
腕に抱かれる薔薇、つまりメリー・ルーも、否定され続ける恋に疲れ切って、現実を直視するのもつらくて、おそらく二人きりで生き抜く確信も持てないまま、彼のぬくもりにただ身を預けて、目を伏せているのでしょう。
「同じ夢を見る Mary Lou」その頬に頬を重ねて見るのは、起きて見る夢ではなく、寝て見る夢。しかも相当に逃避の色が濃いが故に、とても甘美な物語仕立てなのでしょう。
「同じ夢を見る」と言い切りながらも、諦めずに同じ夢を見てくれるね? という確認にも受け取れます。「僕だけのMary Lou」と宣言したはずの彼女が捜索されてしまうということは、誰かの娘なり友人なり、恋人以外の役割が現実に存在するのですから。
と、ショート動画はここで終わり、実際の歌には続きがあるのですが、ああ、ふたりが心中してしまった……と放心しました。なぜって、歌い終えた男の人がひどく安らかな表情で、メリー・ルーの長い髪に頬を埋めるのが見えたからです。
それはひとつのハッピーエンドだと思います。
ふたりが愛を失っていないだけ、ラブソングとしては美しいまま結ばれるのだし。
この先、社会から拒絶された上に、愛までも失くしてしまったら、手に手を取って夢の中に逃げることすらできないのですから。
それにしても、一体、プラトーンの『饗宴』に語られた神話の時代のように、欠けた半身とひとつの姿に戻れるということにはならないでしょうか。そうすれば、死別することも、疑うことも、抱き合っているはずの背中が寒くなることも、なくなるはずなのに。
いやいやいや、その前に、このショート動画は49秒しかなくて、「Mary Lou」の一番の歌詞しか切り取ってないんだってば。
あっそうだった。そう、とにかくこうして、あの日の私はすてきな音楽に出逢ったのです。そして、出逢う曲すべてが新曲という、最高の急性期を過ごしています。
たった49秒の解けない魔法をかけて下さった方のお名前は、ドレスコーズというバンドの、志磨遼平さんといいます。
おしまい💐🪄︎︎💫
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