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Poor Things (1)

 映画『哀れなるものたち』を観てから思考が止まらないので、とりあえずここにつらつらと書き記します。

 ミソジニックな男性が理想の女性に期待するものとして、「純真」「無垢」「処女」などのイメージがある。しかし、本当の意味で少女が無垢に育ったとするならば、ベラのように成長するはずである。彼女の世界への好奇心は純真そのものだ。彼らの言う無垢とは理想に過ぎない。
 自分を縛りつけ、所有しようとする男たちを、ベラはその純真無垢な好奇心で振り回し、蹴散らしていく。その様は実に爽快だ。
 ダンカンは旅の始まり、子供のように世間知らずで、自分がいないと危なっかしく、自分とのセックスしか知らないベラを可愛がった(正しく言えば独占し搾取しようとした)。それはまさに、ミソジニックな世の男性が女性に期待することの典型である(吐き気がする)。
 しかしダンカンの想い(企み)をよそに、彼女は自らの意思で成長していく。彼女が本の虫となり、知性を身につけ始めた頃のダンカンは、彼女とは対照的に、哀れなほどに幼稚さと滑稽さが際立つ(間違いなくpoor thingsの1人)。
 彼女が売春宿で働き始めたと知ったとき、ダンカンは「女がする最低のことだ」と言った。この発言は不愉快極まりない。彼女が無知であることをいいことに都合よく利用し、搾取し、所有しようとしていたのは他でもない彼である。彼女に対して対価を払っている売春宿の客の方がよほどマシである。身近にいる女性を洗脳し、性的な対象"物"として自分だけのものにしようとする行為は「男がする最低のこと」である。
 思い返してみれば、彼女の好奇心をあおり冒険に出させたのはダンカンであるし、「良識ある社会」から解放したのも彼である。その冒険でセックスを教えたのも彼であるし、船旅で学問に出会うきっかけを作ったのも、貧しい人々の存在を知るきっかけを作ったのも彼である。つまりベラに成長の機会を与えたのは彼なのである。にも関わらず、成長を遂げ、もはや「ちょっとおバカなかわいい女の子」ではなくなり、自分にかまってくれなくなったベラを、自分を滅ぼした存在として憎むのである(あまりにもおバカ、自業自得)。
 女性が自分より知的で聡明であることに耐えられない男性は多い。マンスプレイニングなどの行為がそれを象徴しているが、ミソジニーの蔓延る社会(おそらく映画の中でいう「良識ある社会」に該当する)では、あえて下手に出る女性も多い。その方が波風立てず安心して生きられるのである(息苦しい)。しかしベラは我が道を突き進む。なぜなら彼女にとって「良識のある社会」など知ったことではないし、怖いものなしだからだ(かっこいい!)。

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