四十九日とお守り返し

月命日も2回目を迎えました。
仕事をしている方だったら8週間の産休を終えて、業務復帰する頃合い。
無職の私は何も変わりませんが、だいたい四十九日を迎えてすぐのタイミングなんですね。

我が家は直葬で、息子にかかわる法要も特にしていません。
家族からも何も言われず、自宅で骨壺とともに過ごしています。
特に祭壇なども買わず、お菓子を置いたり、話しかけたりする程度。

それでも四十九日を迎えるのは怖かったです。
例え極楽浄土だとしても、どこにも行かないでほしいと思ってしまって。

いや、「もういない」ってことは最初から理解しているんですけどね。
それでもその事実が辛くて残酷で、簡単に飲み込めるようなものではなくて。だから毎日泣くしかありませんでした。

でもいざ当日を迎えてみると、なんか妙にすっきりしてしまって。
息子はもう遠くに行ってしまったんだってスルッと飲み込めました。

四十九日という強制的な区切りをつけてくれる風習に、この時ばかりは感謝です。

そしてこれまでしてこなかった水子供養も、ちゃんとしてあげないとと考えるようになりました。
供養って残された人のためのものなんだって思います。だからそれぞれの形でいいんですよね。


もし周囲の方で似たような方がいたら、状況が許すなら、自分が腑に落ちる時まで待ってもいいよって声をかけたいです。
過度に依存するのはよくないと思うけど、良い意味で執着するのは当然だと思うので。


あと、安産祈願のお守りを返し始めました。
自分で手に入れたものと友人からもらったものと複数あったので、行ける範囲は自分で返しに出向き、遠方のものは郵送しました。

夫は父母などに代理を頼むか、もう少し落ち着いたらでいいのでは?と心配していましたが、
私は早く返してしまいたい気持ちが強かったので、自分の手で終わらせていきました。

人混みが少なそうな日取りを選んだものの、お宮参りに来ている家族連れを直視できず、夫の言う通りにすればよかったと後悔しましたが、
帰宅した後は妙にスッキリした気持ちになっていました。

ちゃんとお返しできて、息子の妊娠・出産に関する落とし前をまた一つ付けられたような気がします。

ただ今後、友人などにお守りを買って渡すのはやめようと思いました。
無事を祈って良かれと思う気持ちを受け取るからこそ、こういう場合はお互いに気まずくなりますしね。
神社でお願いしてきたからねの一言で十分です。


…といっても、今年も例年買っているお守りを購入したし、子宝の神社にもわざわざ出向いてお祈りしてきてしまった。。

すがれるものにはすがりたい、そんな気持ちもあるのが人生。。。


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