資料 「立教」以前の中山家の状況について
中山みきという人について書かれた資料は、天理教内の人が書いたものであれ、教外の人が書いたものであれ、彼女の嫁いだ中山家が「大地主」であり「豪農」であったという前提に立って当時の彼女のありようを想像しているものが大部分を占めているのですが、上の記事ではその前提自体が事実と異なっている可能性の方が大きいのではないか、という問題意識を提起させてもらっています。これにあたって参考にしたのが、天理教の二代真柱にあたる中山正善氏の書かれた「六十年の道草」と題する随筆集です。以下に関連部分