スーパーから見えるセカイ
一人暮らしの男がつつましくスーパーで買い物している。我ながらなんてつつましいやら冴えないやら。スーパーで商品売れ行きを見ていると、逆にメディアが何をしているのか、どんな情報にご近所の皆さんも右往左往されていらっしゃるのかがうかがえる。あえて言う。スーパーの商品の売れ行きに、陳列棚の向こうにセカイが見えるのだ。何なら自分にとって新型コロナがもたらしたものはこの一点のみといっていい。ほかの人はしらん。かつてのオイル・ショックでスーパーからトイレットペーパーが消えたことなんて知らない。覚えていない。なんせそのころトイレットペーパーなんぞ使っていなかった。懐かしいA5サイズくらいの横置きの四角い紙がトイレには積んであった。東京なのに汲み取り式。地獄だった。話が見えない。 オイルショックを引き合いに出す必要はない。3.11の記憶がある。あの時街に何が起きたか。「流通が止まる」悲観に満ちた報道の連呼の先に誰もが思った。「買いだめ」。肥溜めじゃなくてよかった。先に進む。
そして流通の本格的な麻痺は買いだめの一回目の波の直後に来た。トイレットペーパーどころではない。わたしの住む町のスーパーというスーパーから生鮮食品や保存食品の王道、レトルト食品やカップ麺などが一斉に消えた。総菜売り場なんて「こんなに広かったっけ」と見渡すかぎり何もなかった。入荷もなかった。確か記録映像でみたことがある。ソヴィエトとか共産主義国の町のスーパーの映像。「日本でよかった」というあいまいな安堵の記憶が頭の中によぎった。そしてかき消された。残念なことに当時の現実は本当にその映像さながら。失礼を承知で正直に言えば、東日本とは言え、直接の被害が微弱でおよそ被災地とはいえない東京において、「何が起きたのか」を実感させたのは毎日の放射線量とスーパーの商品棚だった。品物がほとんどない、よりによって連日寒くて仕方がなかった2011年3月。食べたいものは売ってない。短期間ではあるが想像もしなかった日々だった。計画停電に震える何回目かの夜。上の階のじいちゃんがある日私に言った。「トイレットペーパーが入荷するってよ。明日の朝、並びに行くからお前さんの分も買ってくるよ」普通ならわたしが代わりにいくべきだ。だが当時の私はクモ膜下出血の後遺症がひどくて「立って並ぶ」ことができなかった。じいちゃんはそんな私の事情を気遣ってくれていたのだ。ある日何もないことはわかっていたが、それでもスーパーに壁づたいに歩いて行った。至近距離にあるスーパーが遠かった。何もないのわかっていても客でごった返していた。相変わらず何もない。肉も魚も牛乳も入ってこない。納豆も漬物もない。野菜もなかった。それら冷蔵しなければならない商品が本来ならんでいるはずの棚の真ん中にポツンと段ボール箱がおいてあった。何だろうと除くと、駄菓子屋でよく売っているラムネだった。お祭りの屋台で売っているラムネの瓶の形をした中に固形のラムネが入っているやつ。元々そんなもの売っていたのかさえ知らない。店員に聞いた時の彼女の言葉が忘れられない。「他に置くものが無いんです」レジ係の女性も疲れ切っていた。「皆さんに叱られたりイヤミを言われ続けるのは辛い。でも私たちは自分の家の食材を買う暇も無いんです」今思い出せばほんの一瞬、正味2~3週間のできごとだったはずだが、あの時生活は確かに壊れていた。みんなギリギリで踏ん張った。
そしてこの新型コロナ。感染が世間話だった時期は2月までだったはずだ。いよいよ東京の感染が止まらないとわかったとき、日本の喜劇王が感染、発症によって逝ってしまった。隣町出身のその人の死は明らかに人々に「どうやら世間話のネタ扱いしている場合ではない」ことを思い知らせた。
最初にトイレットペーパーが消えた。トイレットペーパーが持ち直しかけたときにアルコールとマスクが一斉に消えた。あとはもう3.11の時と同じ。スーパーに人がごった返した。「お前ら普段、ショッピングモール行ってるじゃねえか、こんな時ばっかスーパー来るんじゃねえ」私が店員なら何度だって聞こえないようにそう悪態をついたはずだ。そこから本格的に人々が外出、外での飲食を完全に控えるまで感覚的には一か月くらいかかったと思う。そしてスーパーの商品が落ち着くのは早かった。なにせ一時的な買いだめだ。震災の時のように流通やインフラが物理的に寸断されていたわけではない。でも、時折ある特定の商品が全くなくなり入荷しても即売り切れという状況が散発的に起きる。最初にそれが起きたのは「納豆」だった。
日本ではなぜ重症化する人が少ないのかという海外の疑問に対する一説として「発酵食品の効能」が盛んに言われていたから、そしてそれを日本のメディアが紹介したからである。小さい動きとして漬物なども同じように品薄になったりしていた。発酵食品で重症化しないならキムチの母国はどうなるってんだ。もう面倒くさいので書かないが今でもそんな風にある特定の商品が棚から消えたりする。それでも。
震災の時の「一瞬ではあったが何もなくなった」時に比べたら、緊急とか非常事態とかの意味合いが全く違うことはわかる。いや、わかっておかなければいけない。そのうえで、生きていくしかない。新しい様式など正直言って大きなお世話でしかないが、メディアが都合よくこんな時だけ現実的かつ有効な生き方を教えてくれるわけがない、相手が政治ならなおさらだ。だから私は今日もウロウロとスーパーの棚を見るのだ。マスクはなぜか近所の書店にすら溢れている。アルコールだけがまだない。次亜塩素酸なんたらが「効能が確認できていない」ことが報道された瞬間、近所の雑貨屋では大量に売れ残り始めた。涙目で「アルコールが無い」と呟いていた人々に今更「石鹸でよかったんじゃね?」なんて伝える術もない。「梅干し」が棚から一斉に消えたときは流石に笑っちゃったけど。そんなわたしだってこっそり黒酢を飲み始めているわけだが。元通りに向かうこと自体は何も悪くない。どう考えたって限界は見えていた。ただ、画期的な対抗策が無い以上、既往症があれば対抗のしようがない。わたしの血管は新型コロナウィルスに耐えられないだろう。
そういえばもう、上の階のじいちゃんはいない。代わりに並んでくれるなんて言ってくれる人がいない。一人暮らしの恐怖は依然として消えない。望んだことだから文句はないが。だから余計に、スーパーの棚を見に行くのだ。
テレビを消してスーパーに行く。結果的に逆にテレビが何か言ってればすぐわかる。大丈夫。まだ俺は元気だ。太ったことも認める。