私の想像力について

私はアニメや映画を見ていてよくそう思う。視覚というものは大きい。単に感受性が高すぎるのも一因か。

メディアについて講義で習ったこと。

熱いメディア…情報量が多い→解釈の余地が少ない
冷たいメディア…情報が少ない→解釈の余地が多い

情報量が多いと意味の広がりが限定されるのではないか。とこのことを聞いて思い始めた。視覚的に感じられるものは物事の面がよく見えている分、視覚イメージの想像は断ち切られるのでは?

例えばアニメ。
私の好きなスパファミ。耳からはキャラクターの声が、目では魅力的なロイドさんとヨルさんと可愛いアーニャ。
そしてスパファミの世界観。
感じ取ったものは事実、ただそれだけ。

ここから解釈できるものは何か?
例えば作中のセリフ、よぎった事物、伏線の予感…

熱いメディアでも出てくることは出てくる。解釈の余地は少ないが、奥は深い。

しかし総合的に視覚と聴覚から判断して解釈しても両方足りた状態なので「足りていないこと」が足りていない。十分なのに掘り下げるものだ。

足りていないことは情報量では無い。

欠けていることは悪いことではない。人間らしさはそこにあると思うし、欠けたところを想像力で補ってこそ完成に近づいていくのではと思うのだ

映像のようなものが好まれる世の中になって、欠けたものがなくなっていく世界を受けいられない気がする

世界を嫌いたくないのに




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