毎月、妻の日とこども達の日を作ることにした
「家族サービス」という言葉がどうもニガテだ。家族はサービスする対象じゃないだろう?・・・なんていう人もいるのだけれど、でもやっぱり他人同士が一緒になって暮らすからには、お互いを尊重してサービスするゆとりは必要だと思う。
思えば長女の産まれた当時、僕は仕事の谷間を一回経験してがむしゃらで無謀な働き方をやめて、下請けもしつつ細々と自宅で仕事をする事が多かった。
その頃はもっと家にいる時間も長くて、仕事の量もセーブしていたので妻や娘と触れ合う時間もおおかった。時間と比例するように家族の写真をたくさん撮っていた。
それが最近はどうだろう?
まぁ、だんだん養育費もかかるようになってきたのもあるけれど、もっと稼がねば!前に進まねば!という一種の強迫観念に追われているようにも思う。
仕事は増え続け、フリーランスなのか常勤なのかよくわからないくらい外に出ている。自由さはカケラもなく、テトリスのようにスケジュールを組み込んでは納期に迫られ苦しむ日々。。。
いつのまにか、家族の写真の枚数が減っていった。
これでいいのだろうか?
そんな想いは心の奥の方にずっとドロドロと溜まっていて、受け過ぎた仕事がパンクした事でその想いは膨れ上がった。
これじゃダメだ。
なんのための仕事なのかを見失っていたような気がする。
サービスの語源はサーヴァント
サービスの語源を知っているだろうか?元々はラテン語のservus=奴隷からきている。奴隷のように仕え、奉仕する縦の関係性である。
現在の日本ではサービスというとオマケ的なラフなノリでつかわているし、文化と文脈はいつだって時代ごとにカスタマイズされてきたから、語源がどうあれゆるいご奉仕という感じでいいと思う。
結局、家族サービスなのか会社サービスなのかの違いで、奉仕する先がどこになるかの違いでしかないのかもしれない。
だとしたら、僕はやっぱり会社や仕事ではなく身近な家族にサービスをしたいと思う。
毎月「妻の日」と「娘の日」を作ろう
では、具体的にはどうすればいいのか?
早めに帰宅して家事をするとか、まぁそういう共同生活で行う作業分担はあたりまえとして、もっと具体的にガツンとしたサービス感は欲しい。
そこで色々考えた結果、毎月どこかに「妻の日」と「娘の日」を設定することにした。
この〇〇の日は、文字通りその日1日はその人が王様の日だ。
先月の妻の日は妻は友人たちとフレンチのランチに出かけていって、3時間かけてランチを楽しみツヤツヤした表情で帰ってきた。
その間、長女は幼稚園だったので2歳手前の次女のリクエストを聞いて、公園を4箇所ハシゴしていた。
そのあと3〜4日くらいは家族がゴキゲンだった気がする。
幼年期の育児をしていると、1人の時間はかなり意識して調整しないと作り出せない。ましてや授乳をする母親側はどうしても物理的・生理的な拘束時間が長くなる。
もうちょっとで次女も卒乳の頃なので、もう少しすれば毎月コンスタントに妻の日を作れるだろう。
まぁ、慌ただしくて取れない月だって出てくるとは思うのだけれど、月に1日の家族の日すら作れないようなら、その状況自体がマズイという指標にもなりそうな気がしている。
とはいえ11月も、もう少しで折り返し。今月はいつにするのかまだ設定できていないので、今夜くらいに家族会議をして決めよう。
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