真夜中のあん肝豆腐 #夜更けのおつまみ
深夜24時、少し冷たい木製の階段を、足音を立てないようにこっそりと降りていく。そーっと、そーっと...
階下では1階の明かりが漏れていて、お父さんとお母さんがなにやら談笑しているのがテレビの音に混ざって聞こえてくる。
僕はといえば、音のない二階の寝室でうまく寝付けずにゴロゴロと転がり続け、やがて飽きてぼーっとしていたら一階の楽しそうな音が聞こえてきて、吸い寄せられるようにこっそりと階段を下っていた。
でも、小学生の僕がこの階段を降りて、大人の楽しそうな宴に混ざるのはきっとイケナイことなんだろうな。「子供は早く寝なさいっ!」って叱られるかもしれないな。
トイレに行きたいとか言えばいいのかもしれないけど、トイレ行ったら二階に戻らされちゃう。それじゃつまらない。
なんだか楽しそうだし、美味しそうな匂いもするし、大人はズルい。なんで子供は寝てなきゃダメなんだろう?
モヤモヤとした気持ちと、こっそりと階段を降りるワクワクした気持ちを抱えながら、最後の数段まで来た。ここより降りたら、お父さんやお母さんに僕が来ているのがバレちゃう!
まだ上手な言い訳も準備できていないし、しばらくここに座って考えよう。
そう思って、残り数段を残して暗がりの階段の途中に座り込んだ。
「ん?誰かいるのか?」
お父さんの声だ。ちょっと酔ってる声で、わかっているのにわざと聞いている。お母さんはキッチンに何かを取りに行っているみたいだ。
「ちょうどいい、隠れてないでこっちおいで」
今日のお父さんは機嫌が良いみたいで、眠れずに隠れて座っていた僕を大人の宴に呼んでくれた。
「え!?この子ったらまだ寝てなかったの!明日も学校でしょう?」
お母さんは寝ているはずの僕がこんな時間に起きて来たことに少し苛立っていたけれど、お父さんの「まぁまぁ、いいじゃないか少しくらい」の声にしぶしぶ同席を許してくれた。
パジャマのまま、僕は両親の間に座らせてもらう。
食卓の上には、ガラスのジョッキとビールの空き缶が何本か並んでいた。見たことも食べたこともない食べ物が、小さめのお皿にいくつかある。きっとコレはおつまみってヤツだ。
「おまえ、これは食べたことないだろう?」
お父さんがそう言って、小さなお皿をこっちに渡してくれた。
そこには、少し赤味がかったプリンのような色の豆腐が盛られていた。横には刻まれたネギが添えられている。
「子供にはまだ早いんじゃない?」
お母さんはそう言ってやんわりと止めたけれど、好奇心にまかせてスプーンで掬ってみる。
すごい...!!!なんだコレ。ウニみたいに濃くてトロっとしていて、不思議な感覚の食べ物だった。思わず「おっ...美味しいコレ!」と声が漏れる。
「おぉ、こいつはいけるクチだな!」
なんて、お父さんは新しいビールの缶を開けて空のグラスに注ぎ始める。
「ちょっと!子供にお酒はダメですよ!」なんて母に叱られながら、お父さんはそのヘンテコな食べ物が『あん肝豆腐』だと教えてくれた。ポン酢で食べるのが良いとか、日本酒の熱燗があうとか、よくわからない話をブツブツ言っている。
お父さんは嬉しそうに笑いながら目を細めて
「おまえがもっと大きくなったら、一緒にお酒を飲めるな」そう言って笑っていた。
結局、僕はあん肝豆腐をペロリと平らげてしまい、これ以上いられるとおつまみがなくなるという理由で寝室へ戻された。
この一件以降、味をしめた僕は何度も深夜に階段をそろりと降りて、両親の宴にこっそりと混ざり、夜更けのおつまみを堪能した。
出張土産という豆腐ようをつまみ、カチコチの鮭とば(でもすごくおいしい)を噛み締め、靴下みたいな匂いのするチーズや、黒作りという真っ黒なイカの塩辛を食べさせてもらった。
あれから20年以上経ち、父はもうこの世にいない。
一緒にお酒を飲む話は保留にされたまま、気づけば僕にも子供ができた。
もちろん、僕の子供たちも晩酌のおつまみを狙って深夜にこっそりリビングのドアから覗いてくる。
「いいよ、こっちにおいで」
夜更けにおつまみを堪能するのは楽しいよね。
街が寝静まった夜、こっそりと美味しい時間を共有する。隠れて食べているみたいな背徳感。
美味しいものは、こっそり食べるともっと美味しい。
そして、こっそり誰かと食べるのは、さらに美味しい。
さて、今夜は何をつまもうかな。