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こどものコップの置き方に見る、予測の獲得方法
幼い子供達と過ごしていると、毎日のように驚くことが多い。先日も、4才の娘が変なコップの置き方をするのを見て驚いた。
これ、どう見ても危なくない?
ちょっとぶつかったら倒れてこぼれるよね?
大人だったら、たぶんそう思う危険な置き方だろう。僕もそう思ったし、思わず叱りそうになったが、ふと思った。
わざとやっているわけではなくて、自然にこう置いているとしたら、娘はコップが倒れてこぼれるという危険予測自体が成立していないのではないか?
これがどういう事なのかというと、コップの中に液体の入った状態で不安定な置き方をする→こぼれそうでヒヤヒヤする、という感覚は後天的に経験で身につくらしいという事だ。
経験する事で失われる感覚
大人になると、いろいろな経験を積んで、ある程度の予測や慣れで生きていくことになる。
スイッチがあれば押すことで何かしら照明が点いたり音が鳴ったり、エレベーターの階数ボタンを押せば目的地へ移動できたり、Suicaをピッとやって改札を通ったり、知っていないとできない行動って実はものすごく多い。
そして、そうした「あたりまえ」の感覚が、こどもたちには存在しない。
だからこそ、こどもは自由だし、彼らにしかできない発想をやってみせる。
逆に言えば、大人は大人になるまでに得た大量の経験によってシステムにマッチした生きやすさを手に入れているとも言えるのだけれど、これが果たして絶対に良い方向に作用するのか?というのはちょっと立ち止まって考えたい。
経験や知識を得るのは不可逆なもので、経験してしまえば未経験だった頃には戻れない。
車の運転免許もそうなのだけれど、運転する側を経験すると、自転車の車道の逆走などがいかに恐ろしく見えるのかがわかる。
知ってしまえば知らなかった頃には戻れないのだけれど、知らないからこそできる行為や発見などがあるのを考えると、一概に何もかも知って経験していけば良いとは思えなくなってきた。
感覚にデザインのヒントがある?
今回紹介したのは倒れそうでヒヤヒヤするコップの写真だけれど、こういう状況を大人=特に育児期の親がみたら、かなり高確率でヒヤヒヤすると思う。
たとえ机とコップがガッチリつながっていてこぼれることが無かったとしても、そう見える事でヒヤヒヤしてしまう。
後天的に生活の中でなんどもコップを倒したり、こぼして叱られたりすることで、こぼれそう=ヒヤヒヤする、という感覚を得ているとも言っていい。
つまりね、何が言いたいのかというと、このヒヤヒヤする感覚っていうのもコップと机の状況で作れるとしたら、そこにデザインのヒントが隠れているんじゃないかな?という話。
幼いこどもたちと過ごすのは日々発見があっておもしろい。
純粋無垢で、既成概念がないからこそできる自由な発想には日々驚かされてばかりだ。
コップの牛乳をこぼされるのは困るけれど、たまには少し困るのくらいは大人が我慢して、未熟だからこそできる感覚に勉強させてもらおうと思う。
※本日は投げ銭オマケ記事はお休みです。
土日は読む人も減るので、おまけ記事はナシで思いついたネタを即興で書いたり、ゆるい家族ネタや趣味ネタでとりとめもなくだらけるパジャマスタイルいきます。
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