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【NO.0193】 グローバリズム VS. 反グローバリズム

 グローバリズム。「国を超えて地球全体を一共同体としてとらえる考え方。地球主義。」という意味あいで定義されている。
 実際、今私たちがその言葉を使っている時には、一歩踏み込んで、「全体主義で世界を支配することで、個人の自由の終焉を意味する。」と捉えている。
 ただ、全体主義=ファシズムと捉えられていることが多いが、そんな単純なものではないと思う。
 ファシズムとは、結束とか束ねると言う意味を持っている。様々な考えがあって当然なのだが、そのバラバラになりがちな考を一つの強いコアになる考え方や人物を中心にまとめて、主に政治的な運営をしていくという意味あいだと思う。
 ということから、全体主義は、その中心になる考え方や人物の違いによって、その姿は大きく変化するのではないだろうか。

 グローバリズムは、このファシズム=全体主義を「悪」の権化として、プロパガンダを繰り返してきた。
 しかし、その多くは、国家レベルで、まだ成熟されていない国家が、その方向性を一つにして、国を発展させることで国を維持し護るために摂られる手段の一つではないだろうか。
 多かれ少なかれ、国家というものは全体主義的要素を含んでいるのではないだろうか。国が出来た当初は、その指導者は、その維持を考えるのは当然のことで、ただ、その後、その指導者が何の影響を受けるかによって、国民への対応の仕方が大きく変わってくる。指導層の利益を考えるかそれとも国民の利益を考えるか。
 それに対し、グローバリズムは、国家レベルの破壊を目論んでいるため、指導層レベルの国家作りを後押しし、国民レベルで考える国づくりをする全体主義にに対して、批判し、その政権を潰しにかかる。そして、指導層レベルで国づくりを考える国家を増やしていくことで、グローバリズムの名の下に、国家そのものを有名無実なものにして、世界レベルの全体主義に取り込んでいこうとしている。
 これが、グローバリズムと反グローバリズムの実際の戦いのベースとなっているのではないだろうか。

 近代国家誕生から冷戦時代の頃まで、左翼・リベラル思想と、保守・自由思想の対立構造が、政治の大きな流れだと言われている。実際は、左翼・リベラル思想が世界的には優位な形で様々な国の運営に大きく影響を与えており、保守・自由主義の国家と表向きはそのように見せてはいるが、現実、左翼・リベラル思想に支配されてしまっているという国がほとんどになってしまっていたのではないだろうか。その左翼・リベラル思想こそ、グローバリズムの世界統一思想として、世界を動かしてきた。
 しかし、今、様々な国の中に、そうした考や政治の運営を疑問視し異議を唱える政治的な動きが各地で起こるようになってきた。そして、そのような動きに対して、グローバリズム側は、それらの動きに「悪」というレッテルを貼るプロバガンダを繰り返し、時には強硬な手段を使って、その国の体制をひっくり返すことも実際にやってきた。

 ちなみに日本は完全にグローバリズム側に位置しており、グローバリズムに反する国のことは、メディアを通じて「悪」であることを植え付けられてしまっているため、フセインやカダフィ、そして、プーチンと聞くだけで、悪いイメージしか浮かばないように洗脳されている。

 グローバリズムを疑問視し異議を感じている人々が、今、大きく立ち上がろうとしている。グローバリズム側は、その状況をメディアを使い世界の人々への反逆というある意味ウソを広げるというソフトな手段を使い、もう一方では、反グローバリズム側のキーパーソンを暗殺(未遂)や人々への恐怖の植え付け(感染症など)などの強硬手段を用いて、その支配を維持していこうと、少々焦りの色も見せながら、次々と手を打ってくる。
 そして、ここ数年、反グローバリズム勢力が特にヨーロッパで徐々に広がりを見せている。イタリア・メローニ首相やハンガリー・オルバン首相、フランスルペン党首・・・。アメリカでは、トランプのもとに、ロバート・F・ケネディ・ジュニアやイーロンマスク(全員元民主党)らが集結してきている。日本も唯一の反グローバリズム政党参政党が存在し続けている。
 しかし、グローバリズム側のそれらへの工作もその度を増してきている。

 命を賭すことの出来る政治家の存在が不可欠で、そのような政治家が存在する国が国民を護ることができる。
 
 政治家に期待するのか?
 国民が立ち上がるのか?
 果たして、日本はどうすれば・・・。


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