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「こわかった」けど、代わりのいないかけがえのない人27-2023/10/17

 私の4つ上の姉は、10月12日が誕生日、命日は10月9日。あと3日生きられたら42歳になれたのに(享年41歳)。私の姉の思い出を綴った1年前のnote 1) をもとに、「沁みる夜汽車」というNHK番組のひとつのお話に取り上げていただいた。初回の放映が9月半ば、10月にも放映され、そこへきて姉の命日と誕生日が通り過ぎるものだから、この10月は毎日姉のことを想っていた。ふだんだと命日には姉の好物のかりんとうを買ってきたりするのだが、今年はしそびれた。毎日想っているから、まあいいか、、、だった(笑)。前回のnote 2) に書いた通り、姉のことは「こわかった」のままだ。取材のおかげで、姉は私を可愛がってくれたのだ、とは思えた。直にいじめられていたわけではなかった。だからこそ、なぜこんなにも姉は「こわかった」という記憶なのか。こんなことが気になって気になって、毎日姉のことを考える10月になった。

 考えてみれば、「こわかった」というのはずいぶんと雑駁な物言いだ。取材のおかげで「こわかった」の中味は、「この人のご機嫌が悪くなると、とんでもなくあとが辛くなるから、とにかくご機嫌を損ねないようにしなくては」だったのでは、と気づいた。いやこれって、DV(ドメスティックバイオレンス)をはたらく夫に対し妻が抱く思いに似てはいないか?(もちろんすべての人が抱くのではないだろうが)   気持ちを支配されている、そこが似ているように思えた。

 おとなになって、姉の友人たちに遊んでもらう機会ができた。私たちはスキー世代なので、スキーにいっしょに連れて行ってもらったりしたのだ。姉の友人たち、とっても素敵な方々ばかり。当時内心でものすごくびっくりした。友人たちには、私へのふるまいと同じことはしないのだなと思った。姉も私に故意にいじわるしていたつもりは全くないだろう。だが、愛情故だったと言い切られてしまうのは、私の中ではちがいすぎる。

 実は、ごく身近にも親からの悲しい言葉に傷つくひとがいる。私は長年ソーシャルワーカーの端くれという仕事柄、他の仕事の方よりは多くのご家族の関係性を見聞きしてきたと思う。家族だから、親子だから、その関係は麗しいなんて、とてもじゃないが言えない。逆に血縁のない家族において、麗しい関係性を紡がれた方にも出会ってきたが。

 家族であれ、人と人との関係性というものは、それぞれの努力を伴う取り組みによって紡いでいくものかもしれない。血縁であっても、全く自分とは異なる価値観をもつこともあるのだ。だから、家族だから仲よいに決まっている、家族だから気持ちが通い合ってあたりまえ、、、そんな見方は相当怪しい思い込みだと思う。私は「沁みる夜汽車」の取材で、姉のことを「代わりのいない、かけがえのない、たったひとりの人」と表現した。気持ちを支配され、いつもこの人のご機嫌が悪くならないようにと思って接してきた人だが、同じ環境で育ち、同じ思い出をもつことができた、その意味で代わりのいない、かけがえのない、たったひとりの人だ。

 世の中には、血縁ある家族なのに価値観が異なり、仲よくできず、あるいは仲よくしてもらえず、悩んだり、悲しい思いを抱く人もいるだろう。血縁だからといって気持ちいい関係を築けるわけではない、と私は今しみじみ思う。仲よくできない、仲よくしてもらえないとしても、時間や空間を共にしたことで、少しでもつながりを感じられる一場面があることを願おう。
 赤ハナクラウンとしては、その悩み悲しい思いを抱く人を「ぎゅーっ」てすることしかできない。だが、家族と仲よくできなくても、仲よくしてもらえなくても、「あなたはあなたとして、とっても素敵な、この世にたった一人の大切な人だよ~」そんな想いを込めて、最大級の「ぎゅー」を届けたいと思う。そして、私自身のことも「ぎゅーっ」ってしよう、、、“I LOVE ME”💗
(表紙の写真は、羽の絵の前で鳥のつもりのクラウンさっちー、「ぎゅー」してるみたい?!)

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