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入試のランチはツナサンド31-2024/2/27
2月といえば入試シーズン。ン十年前の大学入試をふと思ったとき、ぱあーと浮かぶ映像(画像かな?w)は、ホイルに包まれたツナサンド。どうしてだったか思い出せないが、母にリクエストした。お昼にツナサンドをぱくついて、あんまりできがよくなかったなーという大学から合格をもらい、おっいけるかも!と思ったとこの桜は散った、、(笑)。
第一志望と第二志望に落ちた。ちょっとばかり公立のなかの進学校だったから、なんで浪人しなかったの?なんて言う人もいた。もう1年の受験勉強?!には耐えられそうになかった。高3夏以降の短期決戦だったが、自分のメンタルはもうぎりぎりだった、と今思う。
高3の5月、父が病に倒れ仕事復帰は無理とわかってから、進学はなし、をまず受入れねば、だった。高卒後何をすればよいのかと悶々とするなか出会ったのが、病院のソーシャルワーカー。「私たちのことを考えてくれる人だよ」と母に背中を押され、私もその人に会ったっけ。その後、母曰く「東京にうちがあるんだから、なんとかなる!」と、1回だけの大学受験に向き合った。ソーシャルワーカーになる道へつながる大学に入るためだった。
入試の時父はまだ入院中だった。毎日病院に通う母が、朝ツナサンドをつくってくれた。どんな気持ちでつくってくれたのだろう。入試が終わってだいぶ時が経ってから 「全部落ちたら目も当てられないって思ってた」と言われた。当の本人の私よりも、結果がどう出るのか気を揉んでいたにちがいない。とりあえず結果は5打数3安打。まずまずじゃない、と、その言葉を聞き思った。
下見に行ったときに「この大学に来てしまうかも、、」と思った大学に、結局入った。すごく入りたかった、ではないのに「来てしまうかも」と思ったことに、なんだか妙を感じる。アラフォー(37歳)になって働きながらだったが、もいちど学生(大学院生)した時間を合わせ、計7年間通学した。
そして、ソーシャルワーカー36年と2か月のうちの約半分は、母校の研究所でソーシャルワーカーとして働いた。下見のときの「来てしまうかも」どころか、私の仕事人生の半分を占めた。勤務してすべてモトを取ったな、なんて思ったものだ(笑)。この勤務地で地元の地域福祉に携わったから、地域の活動者を通じてクラウンに出会った。私のクラウン師匠=クラウンまりちゃんだ。
下見をしたあの日、初めてやってきた白金台のキャンパスで、こんな未来は想像できただろうか。
大学卒業2年後に母が逝き、その10年後に父、30代の終わりに姉が逝ってしまった。涙のなかを泳ぐような日々だった。でも溢れた涙は今、どれも笑いやハートの姿に変わっていった。こんな未来が来たよって、白金台のキャンパスを下見している自分におしえてあげたい。
未来は、
ユーモアをいっぱい抱いて暮らしているよ
クラウンの仲間がたくさんいるよ
白金台で出会った友と今も仲よしだよ
楽しくて優しいツレもいるよ って。
(ツレとも白金台で出会ったんだっけw)
(表紙は、白金台で出会った友の一人とOEKAKIクラウンさっちー。ツレも手を振ってます笑)