わが家の遊び-花札に麻雀牌?and百人一首30-2024/1/27
2024年を迎えました。いったいどんな年になるのか。明けた途端の元日に親友が来てくれてスキヤキ!!うれしいはじまりだった。だが、能登半島の地震ニュースに驚愕、鍋をつつくのが申し訳なかった。自然は、元日も無関係と思い知る。能登半島のみなさん、心よりお見舞い申し上げます。
年明け、かかわるNPOが企画を担当するシニア向けカフェで、お正月の遊びを尋ねる機会があった。参加のみなさん(70代80代がほとんど)からは、いろいろいろいろ、ひととおりの遊びが出てきた。その日は、みんなで福笑いをして大笑い。そんな機会があり、わが家の遊びの記憶が蘇る。
お正月らしいのは、やはり百人一首。母が読みあげ、父と姉と私が取り合うことが多かった。さんざんやったので、小学校高学年になって学校でやる機会があった時、けっこうな枚数をとった。だが、今やちっとも百人一首の和歌を諳んじられない。ひとつも歌を味わってはいなかったのだ。どれほど機械的に文字を記憶していたということか、情けない。もっと歌を味わうという嗜みを身に着けたかったものだ、とこの歳になって思う(笑)。
花札は、父から仕込まれた。あまり子どもがやるには良いイメージのない遊びだ。外で話して、驚かれたこともあった。もちろん、賭けたりはしない。それどころか、父からは、花札に描かれる12か月分の植物の名前とその漢字を覚えさせられた。裏が白い広告紙に、1月から12月までの植物名を書かされた。憶えるまで遊び方には移れなかった。今でも、1月は松、2月は梅、3月は桜と、、、季節ごとに花が浮かんできたり、萩を見て、萩は7月猪だなーとか頭に浮かんでしまう(笑)。
そして、麻雀。国鉄マンだった父、麻雀好きが大勢いる業界(?)。国鉄ルールがあるともきいた。同僚らと飲んだ後、わが家に来て卓を囲むこともあった。朝起きると、寝る前に会っていないおじさんたちがいてびっくりした。
父は、同僚らとやるだけでは飽き足らず、家族にも覚えさせた。母ははまって、中国人はなんて面白い遊びを考えたのかと言っていた(笑)。一番ちびの私までやらされた(小学生時代)。うんと楽しめるまでには至らなかったが、4人の頭数くらいにはなれた。今これもちっとも覚えていない。やれば思い出すだろうか。
麻雀そのものよりも、麻雀牌をつかう遊びが鮮烈に残っている。こちらは、父から教わったのではない。朝までわが家に滞在していたおじさんたちが教えてくれた。朝起きたら、いきなり家が非日常になっていたような感じだ。おじさんたちは優しく麻雀牌をつかう遊びを教えてくれて、なんだか今も、うふふふふ~ってなるような思い出だ。
家族旅行や外食をするなどほとんどなかったが、父はずいぶんと遊んでくれたお父さんだったと、今思う。高度経済成長期のサラリーマン、平日の晩ごはんにいたことはない。だが、こんなに遊んだ記憶が蘇るなんて。父は遊ぶとき、今思うと子どもにつきあっている感じではなかった。だからか、自分も夢中になって遊んだ。この体験が、案外その後の、ちょっとしんどいけどやらなければならないことに向き合うための土台になっているかも。遊ぶときは夢中で遊ぶ、仕事もやるときはやる、、、こんなことを、夢中で遊ぶ父の姿は教えてくれたのかもしれない。
今赤ハナクラウンとなって、遊ぶ!夢中に遊ぶ!!夢中になって楽しく遊ぶ!!!まさにそんな時間をたくさんの人と共有したいと思っている。
(表紙は、幼稚園の子どもたちと丸めた新聞紙で遊んでいる写真。クラウンは自分たちが夢中で遊ぶ。子どもたちを遊んであげるのではない(笑))