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大切な人に痛みの共有を拒絶された悲しさと苦しみをモネと共に悩み乗り越えていくドラマ

Twitterでお世話になっている方には改めましてこんにちわ。
初めてご覧いただく方はお運びありがとうございます。

<亮と未知>の孤独と拒絶無しでは語ることのできないドラマ

おかえりモネにおける亮と未知の存在は
どれくらい大切なものだったかを
私なりに解釈したのでまとめてみました。

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おかえりモネというドラマは
風変わりなドラマだと思う
見る人によって感想も感動も違う
自然の風景のようなドラマでもあるかもしれない

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大切な人に痛みの共有を拒絶された
悲しさと苦しみをモネと共に
共感し悩み乗り越えていくドラマ

タイトルを見ると、いかにも重たいテーマ
と思われるかもしれないけれどそれだけでもない
おかえりモネは新しい切り口のドラマなのだと思う

深刻なテーマを
時には人の生活の支えになり
時には命すら奪う脅威を与える
美しい自然と共に描く物語でもある

とはいえタッチはとても柔らかく
ふんわりと受け取ることもできる物語でもある

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震災によって引き裂かれてしまった心の溝
解ってもらえない辛さではなく、解らないという辛さ


震災そのもを直接的に描くのではなく
引き裂かれてしまった目に見えることのない
心の溝を新しい視点から
描こうとした物語だったと私は捉えた

一般的なドラマでは
ヒロインが予期しない病気や事故など
理不尽な出来事が起こってしまうことで日常は一変し
奪われた自由の喪失感やどうにもならない苛立ち
誰にもわかってもらえない苦しみを抱えることになる

言ってもどうにもならないと感情を思わず口にして
自分も傷つき大切な人も傷つけてしまう場面は
古今東西必ず何度も描かれている

「ごめん。悪いけど一人にして」
と心のシャッターを下ろしてしまったり
「どうせ解らないでしょ?!私の苦しみなんて」
とモノを投げつけたり
全く口を開くことがなくなってしまったり

「わかってもらえない・どうせわかりっこない」
そのヒロインの苦しみや・孤独・ジレンマを描くために
恋人や家族とのそのやりとりは存在している

大抵のドラマは、その双方の苦しみを描くのだけれど
このドラマは通常描かれることが少ない
「解りたいのに解ることができない」
という人の心の苦しみを描くことに
恐ろしい程焦点を合わせる

その為にあくまでも、亮・未知は
「解かりえない存在」のまま据え置かれる

そして物語の最後まで彼らとの関係は
「解らないだろ」
「解らないよ」のままで締めくくられるのだ
多分これがモネから見た視点だったのだろうと思う

かなり風変りである
でも解るわけがないことを、解った気がするとも
解ったような気がするとも描かないところが
このドラマがその事実と
真摯に向き合った結果なのだろうと思う

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様々な拒絶とモネの絶望

モネに対しての拒絶は一つではない
・直接「解るわけがない」と言われてしまったり(未知)
・解りたい相手から心のシャッターを下ろされてしまったり(亮)

モネにとって大切な二人と
その時間を共にできなかった為に
決して痛みを共有することができないのだと
壁と溝を感じてしまった人間(モネ)が
どのように苦しんでいるか、足掻いているかを
徹底的にひたすら描く

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苦しみの共有を拒絶されるということ

おかえりモネは
苦しみの共有を拒絶された人間がヒロイン

被災者の亮・未知が
気持ちを理解されずに孤立しまう
という形では決して描かれない

登場する島の幼馴染の中で
直接津波の時に島にいないのはモネが一人
という状況
一般的にはマイノリティーになってしまう被災者を
マジョリティーとして描く

一貫して拒絶された側であるモネの視点であるため
二人はヒロインにとって
冷たい相手であるかのように描かれる

正解不正解ではなく、おかえりモネの物語において
モネの視点で見ていく上では
亮や未知はモネを拒絶したという冷たさを
表現する人になっているのだと私は感じた

それがモネの感じた
解りたいけれど解ることのできない
どうしようもない超えることのできない
壁に当たった時の感情のような
ものだったのだろうと思う

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何度も拒絶をぶつけられ続けるヒロイン
という斬新な視点に戸惑う


このドラマは東日本大震災に触れている
私の中で、本来一番寄り添われるべき人
(亮・未知)に対して
冷たい人間であるかのように描くこのドラマを
ずっと憤りしか感じていなかった

しかし私のように感じる人間がいる一方で
モネという人間に自分の感情を寄せて
彼女が描かれることで救われた人も
たくさんいたのだと今は思う

モネの側で見ている人は
未知・亮にひたすら
いろんな種類の拒絶をぶつけられ続ける
(亮の笑顔の拒絶・未知に不可抗力なのに
津波見てないもんねと言われるなど)

彼らが拒絶を示すたびに
そのたびにお前はわからない
私の苦しみなんて絶対わからない
と何度もぶつけられているようで
何度も傷ついた人もいたかもしれない

その逆で
一見暖かい場所にいるように見えるモネばかりが
いつも泣いている状況には
突っ込みをいれたくなったひともいるかもしれない
わたしは後者だった

でもいろんな拒絶の中でモネをさらに苦しめたのが
その言葉によって上塗りされる
何もできなかったという無力さや
自責の念や負い目なのではないかと思う

亮と未知が気持ちが通じ合ったと聞いたとき
「これで救われた気になったのは
むしろ自分なのではないか」
というモネの言葉にその全てがあらわれている

自分は二人の痛みを解かることも
取り除くこともできない

せめて祈るくらいしかできないけれど
それを強く望むのは自分が自責の念から
解放されたい気持ちがそうさせてしまうのではないか
確か菅波先生もそのようなセリフを言っていたと思う

というなかなか朝から扱うには重すぎるテーマ
見ている人が心に疲れを感じても当然なのだ

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ぜいたくな悩みという悩み

自分は傷を負っていないから
大事な人に何もできないことに傷ついていると思うことは
ぜいたくな悩みだと思い口にすることができない
そんな言葉を耳にしたことがある

おかえりモネはそんな人の気持ちも
救い上げたかったのかもしれない

あなたにはこの悲しみわからないよね
とぶつけられた人は
それがとても大切な人だった場合
手も足も出ないくらいの拒絶の言葉になるのだと思う

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19:5 わかりたいけどわからない

「私が変わってあげたかった」
母が私の命の危機にあった時の言葉だった

大切な人の大切な気持ちは全部できることならば
受け止めたいし共有したい

菅波先生の発した19:5
圧倒的にモネと過ごした日々が少ないことに加え
彼が一番悔やんでいたのは
彼女が一番つらかったその頃
一緒にいてあげたかったということ

一緒にいてあげられたら
もっとわかってあげられたじゃないか
という痛いほど寄り添いたいと思う気持ちが
うらやましがる類のものではないけれど
という言葉の中に込められていたのだと思う

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何度も大丈夫と言われるたびに私も苦しかった
「おねえちゃん津波見てないもんね」

未知と亮は拒絶の仕方も違った
未知は「どうせわからない」と突き付けてくる
亮は笑顔で「大丈夫」と言い寄せ付けず
心に入る隙を与えない

でもこのドラマは
どうしてこの二人がこの態度に至ったのか
という心の機微は描かない
なぜなら拒絶されたモネの物語だから

視聴者は必死になって
なぜ彼が笑顔で人をよせつけなくなったのか
未知になにがあってあんなに我がままで頑ななのか
さっぱりわからない

おそらく、モネにとってもそれくらい
とてもよく知っている人の心の中に
ある日突然
まったく寄り添えなくなってしまった
という突然立ちはだかった壁のようなものを
描きたかったのではないかと思う

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解らないことは解らないまま

おかえりモネと言うドラマの誠実なところは
人の心の傷を解かることは決してできることはない
ということをきちんと描き切ったことだと思う

それでも自分に何ができるのかといわれたら
結局シンプルだけれどそこから逃げずに
「ずっとここにいるよ」
ということなのだろうと思う

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最後に
モネの苦しみを伝えるために「解りえない人」
のままドラマでは存在することになる
大変な役回りであった
俳優の永瀬廉さんと蒔田 彩珠さん
ほんとうにありがとうございました。

このドラマの要は
モネが立ち入ることができないという
壁や溝を浮き彫りにしていくことにあり
その心の壁や溝を作り出していく役割が亮と未知

二人はそれぞれの傷と闇という行間を内包しながら
モネを拒絶するという役回り
物語の全てといってもいいくらい
大きな役割だったと私は思っています

それがよく表れていたのが
SNSの感想が二人に対して厳しかったこと

なぜかというと、彼らの悩みは
最後の最後、モネが腹をくくるまで
明かされることがないからなのだ

その難しさたるや、わたしが語ることなど
到底できないのだけれど
でもやはりすごいと言い続けたい
そのためだけに書きました

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何故そんな熱量なのかと言うと
わたしはまさに亮のような
アルコール依存の家族を抱えている環境だったので
永瀬さんの亮の役に全力に寄り添った解釈は
まるで自分の気持ちが代弁されたかのようで
何度も救われたからでした。

体験しないと理解することができるはずもない
感情を表現する力に驚きと感動しかありません。

改めてありがとうございました。
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最後までお読みいただき
本当にありがとございました。


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