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人それぞれの働き方改革②
働き方改革とは何か?
僕は職場に押し寄せるこの時代の荒波を肌で感じながらいつも考えさせられる。
僕は、新入社員時代から2年目の秋ぐらいまでとてつもなくサービス残業を強要する上司の元で仕事をしていた。早朝6時過ぎから終わるのが夜中の日付が変わる前後ぐらい。昼食も食べさせてもらえず体はやつれ、精神もおかしくなり、人と関わるのが億劫になるそんな状況まで追い詰められていた。そして限界まで追い詰められた僕は、仕事中に職場を飛び出して帰ってしまった。その時は本当に全てが解放された気持ちになった。
そんな時に起きた事件が電通の女性社員の自殺事件だ。この事件を機に日本では働き方改革が叫ばれるようになり、働き方改革法案も可決された。僕はこの働き方改革のおかげである意味救われた。会社側は僕に長時間労働を強制出来なくなり、僕はあの時のような過酷な労働はしていない。
しかし、以前の記事で「サービス残業は容認されるべきだ」と書いた。これでは矛盾するじゃないか!と思われるだろう。しかし、先程「会社側は僕に長時間労働を強制出来なくなり」と書いた。この中で「強制」に注目して欲しい。僕はこの強制的にさせるサービス残業はよくないと言っているのである。上から押し付けるサービス残業は労働者の心を疲弊させる。僕もそうだった。
僕はお店を飛び出してからすぐに違うお店に異動になり、それ以降少しずつ仕事に慣れていった。そして僕は驚くべきことに、サービス残業を自らするようになった…
次回に続く
Takuya
Mihoko先生に質問です。
Q:先生が、新卒で入った某IT系メーカーでとてつもなく過酷な長時間労働をされてた経験がありますが、その時の先生はどのような状況でしたか?
A: 私の新卒の頃は、、、約40年前に遡ります。それから、私は新卒を経験していません。学校を卒業後、すぐにF1ビザで米国に留学をしていました。
帰国後、既卒で大手電機メーカーへ就職しました。その後、同社専門学校で学び、転職した先が同企業と商社との合弁のパソコン通信企業でした。そこではプログラマーとして入社し、立ち上げメンバーとして働いていました。ちょうどプログラマーが150万人日本には足りないと言われていた頃でした。技術者の仕事は就業時間後が本番になります。9時から5時まで(時間はもう少し厳密です)通常勤務で5時から6時までみんなで夕飯を食べに行きます。もちろん、カップ麺なども買ってきたりとか・・・。6時からおもむろに仕事に入ります。男性は10時、11時までの残業は常でした。私はだいたい8時頃までですが、会議が押すときは午前1時頃まで残ったこともありました。女子は帰れと言われ、タクシー券をいただいて帰宅した覚えもあります。
そうですね。一言で、、、、私は楽しかったです。
過酷は過酷でしたが、幹部や上長たちは合弁企業元からの出向でしたし、経験者で入社されたユースの方々、私もユースでしたが一番の若年者でしたので甘やかされていたのかも知れません。1980年代後半ちょうどバブルの絶頂期でした。
mihoko