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両親の苦言

大学時代に進路について親と相談したことがある。

資格試験を目指していた僕に対し、親は、当然その道に進むものだと考えていたので、「僕が、大学院まで行って研究職につきたい」と相談した時は猛反発をうけた。

うちはけして裕福ではなかった。揚句、僕が大学2回生のころ、父親がリストラに会い、無職となった。6学年下にはまだ愚妹がいる。

それから奨学金をもらい大学に行った。奨学金はなんとか完済している。

両親、特に母親は

「そんなものにさせるために、高い学費を払ってきたわけじゃない」と言った。元も子もない。ほんと、元も子もない。

僕は家を出て、外を歩き回った挙句、コンビニで日本酒の2合瓶と、ワンカップをかって夜の街を徘徊し、公園で買った酒を呑んだ。憤りばかりだった。

僕は小学生のころから当たり前に資格を取って将来はその資格で仕事をすると思っていた。そして、順調にではないが、親から見たらその道を進んでいた。

3回生のとあるとき、わが家を訪れてきた伯母が僕に言った。

「じゃあ、君は資格を取って、将来は自分の事務所を開くのが目標なのね?」

僕はわからなかった。くちごもった。

そういうわけではない・・・・

じゃあ、自分の本当にしたいことって?

こんな考えで勉強していたら僕のような凡人が何度受験しても合格できるわけがないだろう。

僕は方向転換を何度も行い、ご縁をいただいて今はベトナムにいる。しかし、今も模索中だ。

「やりたいこと」と「できること」と「やらなければならないこと」は違う。僕は弁解するように友人に言ったことがある。

この記事を読む限り、両親の判断はある面では正しかったと言えるだろう。

なんだかんだいったって、どんな綺麗ごと言ったって経済力はいる。

もちろん、死が経済的な点だけが理由であろうかどうか僕には判断できない。知らないからだ。様々な要因が絡んだ上での選択だったではないだろうかと僕は推測する。

願わくば。


何度書き直しても言葉にすればとても陳腐なのでこれ以上はやめておく。



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