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鏡筆の短編小説「連続的な非連続殺人犯」
第1章
北尾は北海道札幌市の札幌中央警察署に出向き、その受付の女性に「B子を殺したのは私か南条である」と伝えた。
B子とは、この2日前に、東京都港区で死体で発見された女性である。
ニュースは殺人と報じていた。
札幌中央警察署の受付の女性は素人ではあったが、警察署の受付をしているだけあってB子殺人事件を知っていた。
それで受付の女性は北尾に「2日前に起きた東京の殺人事件の犯人というわけですか」と尋ねた。
北尾は「私は『私か南条がB子を殺した』と言ったんです」と言った。
受付の女性は「いずれにしても自首しに来たんですね」と言った。
北尾は「いえいえ、だから自首ではなく、自首みたいなもの、ですね」と言った。
受付の女性は、目の前の電話機の受話器を取り、札幌中央警察署の副署長の部屋の内線番号を押した。
そして副署長が出ると、受付の女性は「自首したいという男が受付にいます」と言った。
北尾はこのときは、自首のことを自首みたいなものと訂正することはしなかった。
第2章
北尾が札幌中央警察署に出向いたのと同じ日時に、南条は沖縄県那覇市の那覇中央警察署に出向き、その受付に「B子を殺したのは私か北尾である」と伝えた。
第3章
東京都港区にある港区警察署の刑事、東野は、B子殺人事件の証拠はたっぷりある、と思っていた。
東野はB子殺人事件捜査本部の指揮を執っている。
事件の発覚から、つまりB子の死体がみつかってから2日が経っていたが、それでも東野は容疑者の逮捕は近いと感じていた。
先に東野と話したのは、札幌中央警察署の副署長であった。
札幌中央警察署の副署長は東野に「B子の殺害を自首した者がいます」と言った。
東野が、札幌中央警察署の副署長から詳細を聞き終わって受話器を置くと、東野の部下が東野に「先ほどから那覇中央警察署の副署長が電話口で待っています」と言った。
東野が電話に出ると、那覇中央警察署の副署長は「B子の殺害を自首した者がいます」と言った。
第4章
港区警察署の刑事、東野は、札幌中央警察署と那覇中央警察署の両方に、自首みたいなものをした者を港区警察署に送るよう要請した。
2つの警察署は東野の要請に応じた。
それで北尾と南条が、港区警察署に到着したわけである。
2人は手錠をかけられたまま、別の部屋に入れられた。
東野は北尾を先に取り調べすることにした。
東野は1時間ほど北尾と話し、すべての証拠は北尾が犯人であることを示している、との確証を得た。
東野はそのあとすぐに南条の取り調べに取りかかった。
そして1時間後に東野は、すべての証拠は南条が犯人であることを示している、と思った。
そして取り調べのなかで北尾は東野に「B子を殺したのは私か南条である」と言い、南条は東野に「B子を殺したのは私か北尾である」と言っていた。
第5章
北尾と南条のたっての希望で、北尾を裁くB子殺害裁判と、南条を裁くB子殺害裁判は別個に行なわれることになった。
それでマスコミは、前者を北尾裁判、後者を南条裁判と呼んだ。
北尾を担当することになった港区地裁の裁判官Cは、「北尾と南条のどちらかがB子を殺したのは間違いなく、単独犯であることも間違いないが、犯人を特定できる証拠だけがない」と思っていた。
南条を担当することになった港区地裁の裁判官Dは、「南条と北尾のどちらかがB子を殺したのは間違いなく、単独犯であることも間違いないが、犯人を特定できる証拠だけがない」と思っていた。
裁判官Cは北尾に「あなたか南条のどちらかが犯人であると自白したんですから、どちらがやったかまで自白してくださいよ」と依頼した。
裁判官Dも南条に同じ依頼をした。
しかし北尾も南条も、それぞれ自分の法廷でニヤリと笑って「嫌です」と答えた。
裁判官Cは「絶対にどちらかが犯人だが『絶対にこっちだ』と思うことができない」と思い、北尾を無罪とする判決文を書くしかなかった。
裁判官Dも南条を無罪とする判決文を書いた。
第6章
裁判官Cが判決文を読み上げようとした瞬間、北尾が「裁判長、いいですか」と言った。
裁判官Cは「判決文を読みますので、それまで待ってください」と言った。
北尾は「判決文を読むのって判決を下すことですよね」と尋ねた。
裁判官Cは「そうだが」と言った。
北尾は「だったら、私がこれから話すことを聞いてから、判決文を読み上げるかどうか決めたほうがいいですよ」と言った。
裁判官Cは「じゃあどうぞ」と言って、北尾の発言を許した。
北尾はこう言った。
「3年前のA子殺人事件を覚えていますか。
証拠はたっぷりあるのに、いまだに容疑者を逮捕できていない事件です。
その犯人は、私か南条です」
同じころ、南条は裁判官Dにこう言った。
「3年前のA子殺人事件を覚えていますか。
証拠はたっぷりあるのに、いまだに容疑者を逮捕できていない事件です。
その犯人は、私か北尾です」
裁判官Cも裁判官Dも、自分の裁判を中断するよりなかった。
第7章
北尾は弁護士を通じて、検察に次のように伝えた。
「B子殺人について、自分を無罪にして欲しい。
A子殺人についても、自分を無罪にして欲しい。
ただし、2人が殺されて、2人の容疑者がいて、容疑者のうちの1人が自分なので、2つの殺人事件のうちの1つは自分が責任を持とう。
つまり、実際に存在しない、1人が殺された殺人事件を仮につくり、その容疑者として自分を逮捕するなら、その罪を認める。
つまり架空の殺人事件の容疑なら認める」
南条も、自分を担当する検事に同じ提案をした。
北尾と南条は、1人を殺害した場合と同じ程度の刑期で刑務所に入った。
2人は別々の刑務所に入れられた。
北尾は、自分が入っている刑務所のある受刑者に、「私は2人を殺したかもしれないのに刑期は通常の半分になった。しかしあるいは、私は1人も殺していないかもしれないのに、1人を殺した罪でここに入れられた」と言った。
南条も、自分が入った刑務所のある受刑者に、同じことを言った。