木村信也〜アメリカに渡ったカスタムバイクビルダーのはなし
木村信也、アサオカミツヒサ共著、写真、Ayu
税込1,000円、37,000字
はじめに
この「はじめに」は、共著者の一人であるアサオカが書いている。
日本人が世界の人物になるのは難しい。海を渡らなければならないし、最低でも英語で仕事をしなければならないからだ。日本人のアイデンティティがハンデになることもある。それでも何人もの日本人が野球、アニメ、クラシック音楽、小説、科学などさまざまな領域で世界の人物になってきた。
木村信也さんもそのうちの一人であり、バイクのカスタムにおいて世界のキムラと呼ばれている。
木村さんは日本で生まれ育ち、アメリカに渡ってバイクのカスタムショップ「Chabott Engineering」(以下、チャボ・エンジニアリング)を開いて、年2、3台、カスタムバイクをつくって販売している。
本稿は当初、バイク乗りに向けて書かれるはずだった。私自身、バイク乗りのバイクファンで、木村さんがつくるカスタムバイクを知って感銘を受けたからだ。
木村さんを知らないバイク乗りに「こういうバイクがあって、このような人がいる」と伝えたかった。そして木村さんの作品を知っているバイク乗りに対しては、これまでどのバイク・メディアも取りあげていない木村さんの一面をみつけて紹介したかった。
しかし木村さんから話を聴いているうちに、私は、用意していた箱が小さすぎたことに気がついた。とてもこんな狭いところに収まる人ではない、と。
木村さんのバイクに向き合う姿勢は、モノづくりに携わる人なら誰でも参考にしたくなるのではないかと思った。姿勢というより覚悟か。モノづくりで優れた製品を生み出した人が持っているあの強い覚悟だ。衣服のデザイナーも建築家も画家も、それを知りたいのではないかと思ったのである。
それで本稿は、バイクに詳しくない人にもわかるように書いていくことにした。
バイクのことをよく知らない人のために、木村さんが生業としている、バイクをカスタムすることを説明しておきたい。
カスタムバイクづくりとは、バイクメーカーが製造したバイクの形状や機能を変更する取り組みだ。カスタムバイクのつくり手を、カスタムバイクビルダーと呼ぶ。カスタムバイクビルダーは、顧客の好みや運転技量、背格好に合わせて、マスプロダクションであるバイクをパーソナライズしていく。
カスタムバイクは実に創造的だ。優れたカスタムバイクには、芸術性、工芸的な要素、高い性能がある。その一方で昭和の暴走族の違法改造バイクもある。日本では暴走族のバイクは芸術品とみなされることは少ないが、欧米でアート作品として認識されることもある。そしてカスタムバイクの代表であるアメリカ発祥のチョッパーは、盗んだバイクの部品を切り刻んで、つまりチョップしてつくったことが起源になっている。こうしたラフな作品も含めて、カスタムバイクは創造的であるといえる。
カスタムバイク界にはもう一つ興味深い現象がある。それはバイクメーカーがホンダやヤマハ、BMWなどの巨大企業であるのに対し、カスタムバイクをつくるのは大抵は一人か数人であるということだ。バイク業界は兆円規模の巨大市場を形成するが、カスタムバイク界はそのなかにひっそりとたたずんでいる存在にすぎない。
ところがカスタムバイクはその強烈な個性と圧倒的な存在感から、バイクメーカーがつくったバイクの価格をはるかに上回る価格で売買されることがあるのだ。
マーケティングの観点からみるとカスタムバイクは、多品種「超」少量生産体制でつくられる「超」高付加価値商品である。
日本で生まれ育った木村さんがアメリカに渡って、世界のキムラといわれるバイクのカスタムビルダーになったことは、必然であるとも、驚異的であるともいえる。
日本にはホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキという巨大バイクメーカーが4社もあるから、バイク天国ニッポンで世界的なカスタムビルダーが生まれても不思議ではない。これが世界のキムラの必然性だ。
バイクは1880年代にヨーロッパで誕生し1900年代に入るとヨーロッパ、アメリカで実用的なオートバイが製造され始めた。間もなくレースが始まり、競争によって速さを求める声が強まって、バイクメーカーがそれに応えて性能を高めていった。
ひるがえって日本では、バイクの製造は欧米車の模倣から始まった。日本の4大メーカーが独自性を打ち出して世界に通用するバイクを生み出すのは1950年代まで待たねばならない。
木村さんはこう言う。
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