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尖っている人はなぜ尖り続けられないのか~大人になるから以外の理由を紹介


いくら尖っていても、いつしか尖り続けられなくなる。

古くはユーミン、矢沢永吉、U2。
矢沢永吉がセサミンのCMに出ているのをみて愕然とした。

最近では松本人志、千原ジュニア、小藪。
松本人志が赤いちゃんちゃんこを着てテレビに出ていたのをみて愕然とした。

もっと最近だと、鬼越トマホークも、金属バットですらすでに、尖りをやめ始めている。
金属バットが木村祐一のユーチューブ番組にゲスト出演して和気あいあいと会話しているのをみて愕然とした。

大人になって丸くなったから、という理解は簡単だが、ではなぜ大人になると尖れないのか。

怒りが治まるから

尖っている人が尖るのは怒りがあるからだ。
「やってられっか」という怒りである。
しかしその怒りは次第に収まる。
なぜなら「それでもやっていくしかない」とあきらめがつくからだ。
こうなれば尖る必要はない。

尖っていない人のほうがラジカルであると気づくから

なぜなら尖っていない人ほど、実はラジカルだからだ。
地道に一生懸命やり続けることや、社会のルールに従い続けることがいかに大変であるかが、尖っている人にも理解できるようになる。
そうやって考えてみると、自分の尖りのなんと小さいことか。

尖りが陳腐化するから

自分の尖りが陳腐化したことに気がつくと、途端に恥ずかしくなる。
自分の尖りを恥に感じながら尖ることは、それはもう演技であり、尖りを信条にしてきた人には演じることなどできない。
それで尖りから尖らないに転向するのである。

学習するから

それを学習と呼んでもよい。
尖っていた人は、尖る必要がないことを学ぶのだ。

尖った過去は無意味ではない

逆にいえば、尖る必要がないと気づくためには、尖っていなければならない。
だから尖っていた人の尖っていた過去は意味がある。

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