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ビジネスは確率にしたがって進め、破綻したら確率に唾を吐いて立ち上がる

ここでいうビジネスには、事業だけなく、経営や起業、会社員の日常業務なども含まれる。


ビジネスで確率を用いない理由はない。

サイコロを振って1が出る確率は6分の1であり、これは不変である。
だから、自分のサイコロに1を2面に描けば、1を出す確率は6分の2に上がる。

成功する手段をかき集めて、確率が高くなるサイコロをつくれば、あとはそれを振るだけで成功が舞い込んでくる確率が高くなるのだ。

したがって確率を無視してビジネスを進めることは無謀だ。
それは失敗を望んている者の手法である。

しかしビジネスはしばしば失敗する。
確率にしたがって仕事を進めていたとしても、だ。
ビジネスに失敗したら落ち込むだろう。
しかし確率を重視して失敗したのなら、落ち込む必要は1ナノもない。

なぜなら確率はときに空想のようにあてにならないからだ。

サイコロを無限に振っても、1が出る確率がピッタリ6分の1になることはない。
限りなく6分の1に近づくこともあるし、まれにピッタリ6分の1になることはあるが、そこからさらにサイコロを無限に振れば、また6分の1を少し離れる。

6分の1どころか、サイコロを無限に振っていると、まれに1が1万回連続で出ることもある。
まれに10万回連続で1が出ないこともある。

だから、きちんとルールとおりに確率を重視してビジネスをした結果、失敗したのなら、遠慮なく確率に唾を吐けばよいのだ。
そして立ち上がって、また、成功する手段をかき集めて、また、確率が高くなるサイコロをつくって振り始めればよいのだ。

ビジネスが破綻して自殺する人がいるが、それは確率に殺されたも同然で、ばかばかしい行為だ。

上昇するときや前進するときは確率を使い、落下したときや撤退するときは「確率、クソくらえ」と言えばよい。
確率を重視してビジネスをしたのであれば、その失敗は誰のせいでもない。
借金を背負ったのも、自分のせいではない。
ただただ、まれに起きる、確率の機能不全が発動しただけだ。
ビジネスに失敗しても、自分を責める必要はない。
確率を呪えばよいだけである。

自己破産の手続きをするときに、裁判官から「なぜビジネスに失敗したんですか」と尋ねられたら、「確率が機能しなかっただけです。私のせいではありません」とだけ言えばよい。

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