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震災遺構

北海道への移動は生活用品や仕事道具などあるため、車をフェリーに積むことが多いのですが、今回は仙台で会いたい人がいることと、被災地や震災遺構をこの目で確認したいため、あえて青森まで自走することにしました。

震災から12年が経過しているため、震災遺構として残されている建物以外はほとんど復興しています。

あえて被災地を自走してみると、こんなに広範囲に津波が襲ったのか!と愕然としました。

特に大川小学校だけは特別衝撃を受けました・・・


教師たちの指示に従って、校庭に待機していた児童74名が犠牲になった。
どれほど怖かったかを思うと、想像するだけで胸が締め付けられる・・・

地震大国「日本」

近い将来、日本のどこかでまた大きな被害が出る地震が襲ってきます。

どんなに備えても、自然の力はそれを嘲笑うかのように全てを吞み込んでしまう。

震災遺構として後世に伝えることはとても大切ですが、豊富な復興財源でこんなに立派な箱モノが本当に必要なのか?との疑問も感じました。

多くの施設では入場料を払い、沢山の人件費もかかっています。

また、最近では処理水放出のニュースにもあるように、未だ被災した原発の処理にも目途が立っていません。

ここにも多額の税金が使われていても、喉元過ぎれば熱さ(痛さ?)を忘れたのか、電力不足(本当に?)を理由に日本各地で原発再稼働が始まっている。

まだまだ想うこと、感じたことはありますが、長くなりそうなので続きはまたの機会にします。

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