(ひとこと言いたい。3日後には消します) 皇族である眞子の役割 眞子の結婚で 日本人の意識が大戦前と少しも変わってないということを炙り出した。 皇室の為にとか 日本人の為にとか 明治、大正、昭和(大戦前)とその皇族は日本を牛耳っていた。今も形を変えて牛耳っている。 その一員である眞子が、「結婚は私の勝手だ。何が悪い?」と言っているだけだ。 一時金を貰うのは当然だ。牛耳っている中で生まれたお金だから。だから、「生活が苦しくなる。分け前をもっと多くしてくれ。」と言っても
自分一人その場に取り残され、地球は回っている。 世間は目まぐるしく動いている。 自分はここで何をしたらいいんだろう。 自分はどうなるんだろう。 しようと思ったこと。 夜中寝付けずそれを続けた。 明け方、YouTubeを聴きながらまどろんだ(8/31)。 朝になり メールを何件かやりとりして ペンを取りYouTube聞きながらノートする。 さあ、次を聞こうと思ったが気分が乗らない。 場所を変えてと思って着替えたが 出かける気になれず横になった。 落ち込んでくる 暗
二人で歩く。 少し間が空くと待っている。 ぴったり着いていたりすると少し早めたりする。 声に出さなくてもどうしたら良いかわかる。 もう何年も一緒に歩いているみたいな感覚になる。 途中の休憩所で、それぞれにぜんざいを注文して「おいしい」とか言いあったりする。 山小屋でカレーを頼んで一緒に食べた。 時々話をする。 歩きやすい とか 岩が連なっているとこは苦手 とか。 今日は雷鳥見ないねー とか 来月、姉の初山行。一緒に行くんだ とか ほかにも花とか山小屋とか仕事と
黒部川支流の奥に高天原というところあり。 神話に出てくるような美しいところということでその名がつけられたとか。 そこにある温泉につかると 自分は誰とか 彼彼女は誰とか そんなことを超越して? そんなこと関係なく ただ単に「在る」 透き通った青空 ふんわりとした雲 照りつける太陽 岩の間を踊るように流れる清流 緑濃い木立 そんな中 ただ存在している それだけを感じる
夏の山登り スカンピーの青空 2人で歩く。問いかけられても答えられない。 ハー、ハー、、、 大丈夫? 大丈夫だよ。ありがとう。 それだけだけど繋がってる!って感じる。 こころがホッとする。
(出会いは一瞬(2)-2の続き) 体を張ってこれを知らせてくれた2人には感謝しかない。U、Aありがとう! と書いたけど、本当はまだ先があることを、書いた時点では理解していなかった。 今朝、知人からこんなラインが来た。 ------ 〇〇(場所) 知人と散骨を終えました。 人間の肉体はいつしか自然に帰ります。 ひとりでこの地上に生まれて、ひとりで帰る。 人間の死は、こちらでは別れですが、死後の世界では、誕生。 この地上での生きる目的、それは意識を進化させることで
(出会いは一瞬(2)の続き) 出会いは必然というけど、彼女Uとの出会いはどんな必然があったのか。 分からなかった。 ただ、楽しい時間があった。 それで満足していた。 楽しくない時間もあったけど。 Uと出会ってからのことを一つづつ手繰ってみた。そうすると幾つか手繰っただけで直ぐに分かった。 楽しかったこと以外を忘れようとしていた。いやいや、まだ過去のものにするほどには関係を深めていない。出会ってまだ何ヶ月も経っていないんだから。関係を深めることによってお互いに得
銭湯に行きませんか? ゲストハウスの居間にいた女性が声をかけてくれた。 その一言から始まった新たな繋がり。 ゲストハウスから徒歩で5分ほどのところにある銭湯 。ただの銭湯じゃあなくてお湯はとっても良い温泉。 声をかけてくれた女性ともう一人、それに私の3名でその銭湯に入った。 なかなか出てこないので、番台のオヤジさんに伝言を頼んで先に帰ってきたなー その日、ゲストハウスでは6、7人がつるんで食事を一緒にした。そして一緒に飲んだ。その翌日と2晩だけだけど皆んなで楽しい時間
スープを飲みませんか? ゲストハウスの居間にいた女性が声をかけてくれた。 その一言から始まった新たな繋がり。 声をかけてくれた女性と一緒に出掛けることになった。 出かけた先は鍼治療院。 そこで彼女に紹介した先生の言葉が 彼女の悩みに突き刺さる。 彼女の人生のレールがグッ、グッと曲げられようとしている。 出会いは必然。 今日ここで鍼治療院の先生に出会うのも運命だったんだと思える言葉のやり取り。 「自分を見失うと死んでしまう」 「今自分を作り上げないと手遅れになる」 そ
入社した会社で 8月6日という日は 祝日でもなく、会社の創立記念日でもない 365分の1という日常の1日だった。 気に留める人がいないことに 驚かされた。 扱っている物が原子力に関係するという、ただそれだけのことで、業種は製造業だ。 自動車を作る会社とか飲み薬を作る会社となんら変わるとかはない。 そこで仕事をしている彼らにとって関心のある日でもない(と思われる)原爆記念日を知らないのは、おかしいことではないのかもしれない。 原子力に関係する仕事をしているから 原爆記念
高校2年生まで 仕事は父親のように設計士になると漫然と思っていた。 ある時、数学の試験の点数を見た父親が「お前みたいなやつは設計士なんかなれるか!」 設計士なんて絶対ならないと心に誓った。 それから高校の図書館で、将来何になろうかと色んな本を読んでいる時に、たまたま西ドイツ(当時はドイツはまだ西と東に分断されていた)の原子力発電が上手くいってると書いてある本を見つけた。 「これからは原子力だ!」 それで原子力工学のある学校に入った。 (高校の図書館で西ドイツの原子力発電
8月6日の午前8時15分。 どこにいても広島の方向に向かって黙祷していた。 私に出来るのはこんなことぐらいだった。 帰省している時は式典をのぞいてみたり 記念館を見学したり 平和公園を中心にあちこちに点在している慰霊碑を見て回ったりしたものだった。 出身高校の校庭にも慰霊祭はある。 私が小さかった頃、祖母はよくピカドンについて話してくれた。 6日の朝、空を見上げたら何かキラッと光った。爆弾だと思って地面に伏せた。口の周りを手で囲って目を瞑って。おもむろに目を開けると