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サクランボ

久しぶりに訪れたその場所は記憶とは随分と様変わりしていた。
ただ、もうお亡くなりになったであろうお婆ちゃんの住んでいた離れは変わらない様子で、自分が間違ったところには来ていないと教えてくれていた。

弟が呼び鈴を鳴らす。
ぎこちなく父と私と三人で並んで待っていると、程なくドアが開いて目指すそこの女主人が現れた。

「どうも先日は…」
「まぁまぁご丁寧に…」
父と彼女がぎこちなく挨拶を交わす。
彼女の三人の子供達は私達も兄弟二人の小学校時代の同級生だ。
とはいえ、彼女の二女である私の同級生とは小学校卒業以来全くやりとりはない。
一年生の時は一番の仲良しだったのに、どうして行き来しなくなってしまったものか、今では覚えていない。
しかし母親である彼女はこの辺りのショッピングモールに勤めており、
また母の経営する美容室のお客でもあったので、
帰省の際に時折挨拶をすることもあった。
そして今日である。

五月が目前に迫った、陽射しが輝くような日だった。
見覚えのない白い家。
右手の奥にはかつての母屋の前庭が残っていた。
かつて遊ばせてもらっていた一段高い畑も変わらない。
玄関前の芝生や庭木の新緑が鮮やかで、眩しい。

弟と話していた彼女が、つと私に目を移したので帽子をとって挨拶する。
正面から見た彼女はとても健康そうで美しく見えた。
急に尋ねたにも関わらずきちんとした身なりで、
昔の印象のまま優しく微笑みかけてくる。

「お久しぶりねぇ」
「そうですね。お勤めでいらした頃にはお店でお見かけしてましたけど」
「お子さん、おいくつになったの?」
「この春から小学生です」
「あら、じゃあうちの孫と一緒ね」
彼女には5人の孫が居るらしい。

暇乞いをし立ち去ろうとすると、彼女は
ちょっと待って、
と断って一旦家の中に戻りすぐに何かを手にして帰ってきた。

「お母様に差し上げて?ちょうどさっき庭で採ったところだったの」
ガラス細工のようにつやつやとした綺麗なサクランボだった。
無垢で瑞々しくて、まるで違う世界のモノみたいだ。
その時の私には、なんだか生命の象徴のように見えた。

辞することも出来ず、生命の施しを受け取って帰る。
帰りは誰も無口だった。
言葉にしてはいけない思いがこみ上げる。
私の心中はざわついていた。

彼女のサクランボは母の仏前に備えた。
そのまま朽ちてしまえと思いながら。

 

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みなもと 湊
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