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あのままにしておいても良かったのにね?

我が家にイチゴの苗がやってきた。

近所のスーパーで、パック詰めされた赤いイチゴの隣に、
「お一人様一株ずつ、ご自由にどうぞ」と、並べられていたものだ。
先輩然とした赤いイチゴ達の隣で、未だ実ってもいないのにイチゴの段ボールケースに並べられた苗達は、少し肩身が狭そうだったが、未だ細い赤い茎を伸ばしてアピールしている。
『僕たちも、こんなに赤くて美味しいイチゴになりますよ!』
甘い香りがしていた。

6歳の息子(何でもやりたがり、大抵すぐ飽きる)が
「イチゴ育てたいなー」
などとのたまっていたところだったから、有難く一株持ち帰ることにした。息子が保育園から帰ってきたら一緒にプランターに植えよう。


しかし、うっすら予感していた通り、その日の息子はイチゴより
Eテレを選んだ為に、翌日に私が一人で植え替えることになってしまった。
すでにイチゴ栽培の目的の何割かは失われたようなものだが、仕方がない。
南向きのベランダにプランターを置き、土には緩効性のいい肥料を混ぜてやり、水をやった。

それから私は毎日洗濯物を干す傍ら、イチゴの成長を愛でた。
寒風に晒され、しかし枯れもせず、イチゴは毎日風に吹かれていた。
時に暖かい日差しが射すようになった頃、苗の中心部に小さな芽が現れた。そして、日毎極僅かずつ成長していった。
小さな緑の手の様な葉っぱが幾重にも重なっている。
私は、それを毎日目を細めて眺めた。

イチゴを眺める時、その真横あたりにひょろりと生えた一本の雑草がいつも目に入った。
イチゴと一緒に少しずつ大きくなる。
イチゴの葉っぱに少しだけ似た、しかし、小指の先ほどに小さいギザギザした葉を、ごく細いカイワレ大根みたいな茎の先っちょに一枚だけつけている。
『私もイチゴですよ』と言っているみたいだと思って眺めた。
イチゴと同じに一生懸命小さな手を伸ばしている。
でも、騙されないよ。
騙されてはいないけど、その風情にほだされてそのままにしていた。

しかしある日、私はそれを抜いて捨てた。

いかにも、水遣りのついでというようにさりげなく。
そのいとけなさになど気づいたこともなかったかのように。
何の感慨も持ち合わせていないふりをして。
そして、そっけなくゴミに捨てた。

そのことは、今も微かに私の気持ちをざわつかせる。
今や、子供の手ほどに大きくなり、がっしりとしたイチゴの葉を
見ると、あのひょろりとした哀れな風情を思い出す。

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みなもと 湊
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