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母の死と私と息子。
※少し前に書いたnoteですが今更ながら投稿します。
この時にしか書けなかったものだと、今思うので。
母が亡くなった。
ほんの3週間ほど前の話で、思い出そうとすれば死にまつわるあれこれがまだ生々しく蘇る。
葬儀を終えて自分と家族の生活に戻って数日は一人になった時間帯に
ぼんやりと母との最期の日々(コロナでろくに会えなかった)を思い出し、
出来なかったことを悔やみ、
しなかった判断を悔やみ、
そのことを母に詫び、
医者なんてこん畜生と恨み、
泣いた。
でも結局、私にとっては生活の方が強いようだ。
小学校に上がったばかりの息子のあれこれ。
こちらの悲しみにお構いなく進んでいく仕事のスケジュール。
私は悲しみを忘れていく。
時間が経つごとに、朝を迎えるたびに、ほんの少しずつ、
ごく薄いベールを一枚ずつはがしていくように。
そのこと自体も悲しい。
でも、どうしようもない。
そんな自分を少し遠くから眺めているような心持ちでいる。
いつか自分もそのように忘れられていくのだから許してほしいと願いながら。
そんな私とは反対なのが息子だ。
彼はここ暫く、毎日何度も悲しいと目に涙を貯めて訴えてくる。
通夜から葬儀まで、祖母の体がまだそこにある間は、きっとよくわかっていなかったのだろう。
時に悲し気にしながらも、お棺に入れる寄せ書きをカラフルに楽し気に書いていたりもした。
『ばぁばは亡くなったんだよ』
言葉の意味は理解できただろうけれど、
『ばぁばが死んだということの意味』
までは分かりようがないじゃないか。
私にだって、わからない。
火葬が終わって
先日まで幼稚園児だった彼に、祖母の死がどれほどわかるのだろうか、
彼は、祖母をどれだけ覚えて大きくなってくれるのか。
そんな思いに反して、彼だけが日毎悲しみを大きくしているようにみえる。
大人になってからこちら、時間は誰にも等しくまた同じ方向に流れているという認識を強くしていたけれど、
彼の中の時間の流れはまだまだ緩やかなのだ、と気づく。
ゆっくりと流れる時間の中で、祖母の死を時間をかけて咀嚼してくれているのだろう。
彼の中ではどんな風に時間が流れているのだろう?
うんとゆったりと時間が流れていたらいいのに、と思う。
たくさん本を読んで、大好きなお絵描きをして、友達と遊んで、
そんな楽しい時間がたくさんあるように。
例え、それと並行して悲しみの時間も長くなるとしても。
どうか、ばぁばのことも覚えていてあげてほしい。
私の残酷なエゴが心の片隅で願う。
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![みなもと 湊](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/11812246/profile_506f4e6bcd08c954ee3b9df1939776a0.png?width=600&crop=1:1,smart)