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福岡市美術館に行ってきた

福岡市美術館のコレクション展・企画展を鑑賞。乱文になるだろうが、忘れないうちに。

吉田博「霧の農家」

この絵の前で、しばらく立ち止まる。

湿った肌、ひんやりとした温度、森の匂い、虫や鳥の声、草露に濡れた足元。「知らない場所なのに知っている」感。デジャヴ。
一枚の絵に五感すべてが反応し、懐かしい気持ちになる。

作品に触れたときの「身体性」というのだろうか。この感覚は鑑賞者として大切にすべきなのではないかと気づいた体験だった。


大浦こころ「のびひろがっていく身体14」

一滴垂らされた絵の具がどう滲み、どこに波及し、何とつながり、どのように調和して全体にとって不可欠な要素となっていくのか。
水彩の動きを具に観ていくのが面白かった。

作品は芸術家ありきといえど、すべてを意図し計算し尽した作品は完成し得ないのではないか。素材を組み合わせて創作していく過程で、「人知の及ばぬところで勝手に起こること」が必ずあるのではないか。そう考えてみると、その「偶然性」こそ、芸術の美しさの正体なのかもしれないと思う。

もしそうだとすれば、意図と偶然性のはざまで、途方もないほど微妙な調整を成功させるアーティストに畏敬の念を抱かざるを得ない。


草間彌生「無限の網A.H.T. 1960」

一応リンクを貼ったが、これは近くで見ないとよくわからないと思う。タイトル通り、無限に網が描かれている。黒地に赤の網の、巨大な絵である。
私には、皮膚のスケッチに見えた。皮膚の一つ一つの細胞を描いたのではと。
作者の意図するところはわからない。

的外れでもかまわない。絵をどう見て、どう楽しむかは自由。


企画展「あらがう」

見ないふりをしているもの。知っているのに、知らないふりをしているもの。知らないのに、知ったつもりになっているもの。
奇しくもこの頃、こうしたことについてよく考えていた。
この展示で、それらの「ほんとうの姿」を眼前に突きつけられ、
「やっぱりお前はなにも分かっちゃいないんだな。」
と叱られた気がした。愛をもって。

≪ Ground Zero ≫ 李晶玉、2022年
≪ Ground Zero ≫ 李晶玉、2022年 全体
≪ the gunshot still echoes #2_torii ≫ 寺田健人、2023年
≪ 重力の光 ≫ 石原海、2022年 作家のことば
≪ 重力の光 ≫ 石原海、2022年 赤のムービングライト
「あらがう」展の入口


仙厓義梵「絶筆の碑 拓本」


《 絶筆の碑 拓本 》 仙厓義梵、1832年


なんと絶筆は失敗に終わったらしい。
最後の最後で、ほっこり。


***
福岡市美術館は、コレクション展の近現代美術、古美術、「あらがう」展、全部観て回れて観覧料200円。(特別展は別料金)
外にも草間彌生のモニュメントなど、多くの作品がある。大濠公園に直結し、福岡タワーも見られる。おすすめスポット。
福岡にお越しの際はぜひ。


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