見出し画像

「愚者」からのインスピレーション

こんばんは。HIKOです。

今日からは、タロットの大アルカナと呼ばれる22枚のカードについて、私のインスピレーションを紹介していきます。

【一言解説】
タロットは「大アルカナ」と呼ばれるカードが22枚、「小アルカナ」と呼ばれるカードが56枚、合計78枚の構成です。
「大アルカナ」の方が、一般的に使われる機会や目にする機会が多いです。

タロットの「愚者」について

「愚者」という名前から想像すると、「なんだかなあ」と思うかもしれませんね。要は「愚か者」ってことですもんね。

そんな「愚者」のカードがこちら。

マルセイユ版の「愚者」のカード

これは私が使っている「マルセイユ版」といわれる種類の絵柄です。
一言で「タロット」と言っても、実はいろいろな版があり、そして今でも新しいイラストで作られているので、けっこう様々なんですよね。

私はたまたまタロットを始めたときに、教わっていた方からいただいたのがこちらのマルセイユ版だったので、ずっとこれを使っています。

見たらなんとなくわかると思うんですけど、絵柄がなんとも言えなくて、ちょっとユーモラスで、個性的で、クラシカルな感じで好きなんですよね。

もう一つ有名な「ウェイト版」というものがあるんでが、そちらの方が洗練されていて綺麗な絵柄だと思います。
使っている人もこちらの方が恐らく多いですね。

あ、すみません。
「愚者」の話をしようと思ったのに脱線しました。

今度こそ「愚者」のインスピレーション

基本的な「愚者」の意味はこんな感じです。

自由・エネルギー・旅行・探究・起源・歩み・本質・解放の力・非理性的な者・混沌・逃走・狂気など

アレハンドロ・ホドロフスキー著「タロットの宇宙」P139より

これだけじゃよく分かりませんよね。

そもそも、「タロットが難しい」と言われることの理由って、要するに「意味がありすぎて結局何なのか分からない。覚えきれない」っていうことだと思うんです。

でも、そもそも覚えるものでもないのかなと私は思います。
基本的な世界観というか、概念はもちろんあるんですけど、画一的に「このカードはこう」って決めるのは、ちょっと安直すぎるというか…。

それでも良いんですけど、もっともっと自由に、インスピレーションを広げていくことで、更にタロットの力が生きてくると思うんですね。

どちらかというとアートセラピーに近いというか。
絵画鑑賞をしながら、そこから思いを膨らませて、自分に反映させるような使い方の方が私は好きです。

あ、すみません。また脱線してますね。
すぐに脱線しちゃってどうしようもないですね。

いい加減に愚者の話をしよう

さて、私が思う「愚者」はこうです。

まず、『「愚者」はそもそも他のカードとは異質である』、ということがあります。

どういうことかというと、タロットの大アルカナには、それぞれカードの上に数字が与えられています。1~21までの番号が書かれているんですね。

でも、「愚者」には番号がないんです。

これがどういうことかというと、「枠に入っていない」。
つまり、「型に縛られていない」「規格外」「全てから解放されている」というようなことが前提としてあるんですね。

そして、描かれている人物は、どこを見ているのか分からない感じで、なんというかボケーっと歩いてます。
足に犬がしがみついてますが、果たして犬に気付いているのか、気づいているけど無視しているのか、それも分かりません。

「愚者」は、一言で言えば「何にも縛られていない、本当に自由な存在」なんですね。

これ、私はこう思うんです。

「愚者」って、「心」そのものなのかもしれない、って。

私たちは、成長するにつれて、社会だったり、周りの環境、人間関係に影響されて、だんだん「心」よりも「頭」で考えて、ものごとを判断することが増えてきますよね。

「ここでは自分はこうやって振舞った方が良さそうだ」
「こうやって動くのが賢い」
「こうしておかないと将来大変だ」

とか、なんとか。

でも、生まれた時はそうじゃないですよね。
「頭」で考えるよりも、「心」で思ったことをそのままやってるはずですね。

生まれたばかりの赤ちゃんは、言葉を持ちません。
これもすごく面白いんですが、「ロゴス」、つまり「言葉」を得ることが人間になることである、みたいなことを、どこかの誰かが言ってたように思うんですよ(曖昧すぎてすみません)。

つまり、「言語」を獲得することで人間になるってことですけど、それは同時に「言語」の枠に入れられる、ということでもあると思います。
つまり、「言語」を使うということは、社会性の中で生きることなので、人間というのは社会性の中で生きる存在なんですね。

「言語の獲得」は、人間として生きるために必須なことですが、同時に「頭」を優先的に使うということでもあります。

でも、自分の中の思い全てが言語化できるわけではありません。
もちろん、人にはみんな、それぞれの中に言語化できない思いがあるはずです。

そして、「言語化」の社会の中で生きていると、その「言語化できないこと」をキャッチする感覚が、いつの間にか鈍くなってくると思うんです。

私はこれが「心」にあると思うんです。

「心」は、本当はすごく自由で、社会のしがらみになんか縛られていません。
自由自在に、伸び伸びといろんなことを想像して、創造して、実現していく力があるんですよね。

でも、現実の世界に生きている以上は、心だけの存在ではいられません。
「頭」で、「理性」で考えて、しがらみの中で、「言語化できる世界」で生きているのが私たちです。

そんなしがらみから解放されて、本当の意味で自由になっちゃってる存在を象徴しているのが、この「愚者」だと思います。

心はどこを向いているんだろう

いろいろ話が飛んでいますが、要するに、私はこの「愚者」は、「制限されれていない、ピュアな心そのもの」だと思うんです。

みなさんは、自分の心がどこを向いているか、見えていますか?

これも面白いんですけど、頭でいくら「こうしないと」と思っていても、心が全然違う方向を見てると、やっぱり上手く行かないんですよ。

分かりやすい例を出すと、将来のことを考えて何か…例えば英語を勉強することにした、としましょう。

これは「頭」で考えて、「英語を勉強しないと」と思ったとします。
でも、もし「心」が本当はそんなことを望んでいなかったとしたら、やっぱり続かないんです。

でも、それを「意思が弱いんだ」と思って無理に続けるっていうのがよくあるパターンですね。これは「意思が弱い」というよりも、「心が向いてる方向と違うことをしている」という方が近いと思います。

いくら頑張っても続かないし、続いたとしてもストレスになって、これが仕事だったりすると、そのせいで病気になったりします。

これは心の声を聴いていないときに起こりがちで、だいたいのストレス性の病気はそれが原因だと思います。
心は本当に「愚者」みたいなもので、どこを向いているのかを日々注意して見ていないと、分からないんです。

「愚者」は、目的地を持たずにただフラフラしてるんですね。
ただそのとき行きたいところに歩いていく。

心もそういうところがあります。
心は何せ言語化できる世界ではないので、感覚的に掴むしかないんですよね。

難しいかもしれませんが、実はこれがストレスのない生き方をする鍵です。
心の動きをよく見ていて、出来る限り「心」が動いている方向に沿っていくこと。

「愚者」以外の、他の1~21のカードは、「言語化できる世界」じゃないかなと思うんですね。
でも、愚者だけはその枠から外れて、自由自在に伸び伸びしている。

これって、「常識の枠から飛び出して、好き勝手に生きてる人」ですよね。
現実でも、そんな人は、いわゆる常識人たちからは「愚か者」と言われたりします。

でもそうではなくて、彼らは心が向いている方向に沿っているだけです。
他の人(カード)と同じような数字を持たず、何も持たず、ただ自由に生きている。そういうことだと思います。

そうは言っても、現実社会を生きている私たちには、完全に「愚者」のような生き方はできませんね。

だからこそ、時にこのカードを見て、「自分の心はどこを向いているのだろう」ということを思い出すこと。
何のしがらみも、制限もない、ピュアな心である自分を思い出すこと。

それを思い出させてくれるカードだと思います。

今日はそんな感じで終わりにしたいと思います。


あ、今更ですが、ここで書いていることは、いろいろなタロットの先生や本が語っている「愚者」から、私がインスピレーションを広げたものになります。

なので、一般的な本で書いてあることとは全然違うので、あくまでもHIKOの解釈として読んでくださいね。

それでは、もし良かったら「スキ」押していただけると嬉しいです。
また是非読みに来てくださいね!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?