【毎日マルセイユタロット】言葉にならない聖域を見つめる
おはようございます!
今日のカードは「女教皇」でした。
女教皇という存在は、実際には存在したことはないそうです。架空の人物ですが、なんだか神秘的ですね。
このカードは本当に「神秘的」という言葉が似合います。
彼女が手にしているのは聖書ですが、誰も立ち入らない場所でひっそりと聖書を持ち祈っている、そして実在していなかった人。
そんな女教皇の顔は白く、まるで生きていないようです。なんだか強く霊的なものを感じるカードですね。
ここから連想できる言葉は、「聖域」かなと思います。自分の中で誰立ち入らせない場所。誰に何を言われようとも、絶対的な教義として持っていること。
そういうことは外には出さず、自分の内に秘めておくもの。そして誰しもそういうものはあるはずです。
でも自分の中にそういうものがあるということを分かっていないと、どう扱ったら良いのか分かりませんね。
だからこそ女教皇のカードが出た時は、それが良いかどうかの判断をすることなく、自分の中、それも奥の方にある、自分だけの聖典、聖域を見つめる時かなと思います。
つまり、内省ですね。
ちょうど年末ですし、振り返るタイミングとしても良いのではないでしょうか?
それでは今日も良い一日を!
【12月26日(木)所感】
女教皇って、ひたすら内に向かうカードです。対になるであろう教皇は、正に説法をしている最中のように、教皇が2人の人物に向かっている絵ですが、女教皇は1人で聖書を手にしています。
そしてベールもかけられていて、「絶対邪魔しないで」と言わんばかり。
人それぞれ、これが発揮されることって違うわけで、不用意にそこに立ち入ったりすると当たり前ですが嫌われます。
女教皇って、その人の中の強い信念というか、思い。もしかすると明確な言葉ではないかもしれません。
最近思うんですけど、自分の中にあるものを言葉で100%表現するのは本当に難しいというか不可能で、それは何でかというと、「言葉」という箱に入れた瞬間に、もともとの思いの形が固定されてしまうからじゃないかと思うんです。
言葉はどうしても意味があるから、その意味に縛られてしまう。でも本当はそんなに単純なことではなくて、それこそ海が一瞬たりとも同じ表情ではないように、変化し続けているのが思いだと思うんです。
人は基本的には変化を喜びませんし、自分の中に不安定な気持ちがあるのはなんだか嫌、ということもあるかもしれません。
でもたぶん、本当は固定されずに揺れ動いてるのが自然な状態で、だからこそその一瞬だけ捉えて言葉で書き出すのは、言ってみれば写真に近いような。
その一場面だけ見たら穏やかに見える海も、リアルな海は次の瞬間には別の表情になるし、一定ではない。でもその一瞬を捉えて、その本質を伝えようとするのが写真であり、言葉じゃないかなと思います。
何を言いたいのかよくわかりませんが、つまりは女教皇が内に向かっているときは、「自分の中をよく見つめる」ってことだと思うんです。
無理にそれを言葉にまとめる必要となくて、ただ海を眺めるように、自分の思いを観察すること。そういう時間って人生に必要だよなと思います。
それではまた明日!