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内省と占いとタロット
ちゃんとした記事を書くのは久しぶりです。ちょっといろいろありまして、うまいこと人生に転がされておりました。基本的に私は流されて生きるタイプなので、たまに流れている川の勢いが急に強くなるときがありまして、今回はちょっと流れに巻き込まれておりました。というか、現在進行形で巻き込まれております。
かと言ってそれが嫌とかではなくて、そうやって人生を転がされて、神様の手のひらの上で踊らされているような感じも悪くありません。すごいスピードで巻き込まれて行く中で、「良い感じに転がされて巻き込まれているなあ」と思っておりました。
それはそれとして、タロットは引かないと私は自分のバランスを取ることができません。私にとって、タロットを使って内省することは日常の一部であり、そしてタロットは私の思考ツールとして根づいているので、これをやらなくなると自分を見失うことになるんですね。今回ちょっとストップしてしまったことで、改めてそれがよく分かりました。
占いもカウンセリングもやりますが、私が一番好きなのは内省です。というよりも、内省をするためにタロットを始めたと言っても過言ではありません。
私はもともと占いが好きでしたが、それも自己探究の一部として、算命学や西洋占星術に興味を持ったのが最初です。自分の生まれを丁寧に紐解いていくと、自分という存在がどうしてこうなのかが少し分かるような気がして、受け入れやすくなったんです。
いわゆる相性占いとかではなくて、私という人間の本質。宿命、学ぶべきもの、どんなことに関心を持ちやすいのか。そういうことを占いを通して見て回る中で、少しずつ自分のかたちを受け入れて、大切にできるようになったと思います。
そんなことを20代の頃からやっていて、今振り返ると、それも一つの内省だったのかもしれません。とにかく自分のことを知りたかった。自分がどんな人間で、この世界で何をするべきなのかが分からなくて、それで占いに興味を持ったのが一番最初です。
そしてタロットを学び始めたのは、たまたまのご縁ということはもちろんあるのですが、それ以上にタロットが思考ツールとしてすごく私にフィットしたからです。
以前にも書きましたが、メタファーとして、自分自身の状況を客観的に見るのにとてもしっくり来たことと、複数のカードが織りなすストーリー性。そして一枚一枚のカードから膨らむイメージと、数字の持つ意味合い。
そういうものがぎゅっと詰まって、一枚のカードを引くたびに、それをきっかけに深く内省をすることができる。行き詰まったときにカードを引くと、気づかなかったことが見えてくる。
カードそのものが喋る訳ではないけど、頼れる友人のように、私を導いてくれる先生のように、その時その時で助けてくれる存在です。
今ではタロットは私の思考の一部になっていて、それはどういうことかというと、日常のあらゆる場面で大アルカナの22のキャラクターの視点を借りて物事を眺めてみたり、小アルカナの4つのスートを思い浮かべて、今の現象に不足しているものは何かを分析したりします。
そんな風に、タロットを学んだことで、より深く考えたり、ものごとを分析することがしやすくなったと思います。
今日は本当は全然違う話を書こうと思ったのですが、ちょっとリハビリ的につらつらと書いてみました。
あ、そう言えば。しれっとアイコンとバナー画像を買えました。一応ギリギリ顔を出さないラインで写真にしていたのですが、それでもどうも自分が前に出るのはやっぱり若干しっくり来ないなと思ったので、無理せずにひっそりしておく方向に転換しました(笑)。
それではまた。
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