贖罪と自由と尊厳と。Amazing Grace
こういう(スピ系)仕事をしていると、シンクロニシティや直感の導きの意味が後から解明される、ようなことは日常的で。野生の勘?で動いているところがあります。数日前に、イギリスのバース(お風呂、入浴の語源となった温泉が湧く街)について何となく考えていた朝。その日の夜に、BBCのかなり古い(1990年代の)ドキュメンタリーを突然見ようと思ってDVDを。すると、古代ローマ時代に開発されたバースの街の事が出てきて、あら、偶然ねと思っていました。
すると今度は、何か映画を見ようかということになり。翌日に7年振りくらいになる、ある映画のDVDを棚から。それがこちら。
イギリス映画ではありますが、讃美歌、「アメイジンググレイス」についての物語だったこと以外、そしてとても良い映画で、当時ブログに書いていたこと以外、細かい部分は忘れていました。が、再生して少しすると、なんとバースの街に主人公が保養に行っている、というシーンが。保養地なのですよね。温泉の水を飲んだり、浸かったりと、貴族や市民に広く利用されていたよう。そんなシーンは覚えていなかったので、これは何かあるぞ。と思って2時間弱の物語を久しぶりに見ました。
当時も思ったように、やはりとても良い映画で。今のほうが更にそう思いました。探してみると2018年のブログ記事がありました。その文章をこちらに載せますね。
2018年1月31日 Amari’s Blog『神様は青い鳥の中』
生粋のイギリス映画で、舞台は18世紀のイギリス。監督がイギリスの俳優で固めるとこだわった結果、イギリスを代表するような名だたる俳優たちが共演しています。
政治を舞台にした実話。賛美歌の「Amazing Grace」に因んでいますが、ストーリーの本流はイギリスにおける奴隷制度廃止のために、議会で闘い続けた一人の国会議員と、少数ながら彼を助け長い時をかけてともに闘い、本懐を遂げた仲間たちの面々を描いています。ハリウッドで今をときめくカンバーバッチが、主人公(ヨアン・グリフィス演じる)を支え時に刺激する親友であり24歳で首相になったピットを演じている。
同じ奴隷解放のテーマとしては、ハリウッド発、スピルバーグの『リンカーン』がありますが、やはりアメリカとイギリスの個性は当然ですが色濃く、イギリスは、帝国主義や植民地支配、産業革命など、世界の害になるようなことをわりと率先して行なっている国でもありつつ、市民革命は混乱を極めたフランスとは違い、無血開城・・議会レベルで実現していますし、奴隷解放も議会での長い闘いの末になされ、アメリカが南北戦争という犠牲を経なくてはいけなかったのに対して、法や議会の場で革命・改革が遂行されていくというのが特徴と言えそうです。
そういう意味では、やはり行儀の良い国・紳士の国というか、日本にも通じる理性や道徳心を重んじるゆえなのかな・・と、『リンカーン』との比較からも、感じました。狭い国土に国民がたくさんいる島国というのは、己を解放するよりも、やはり秩序を大事にするという気風が自然と、定着していくのかもしれません。主人公ウイルバーの純真で真面目、どこか幼いおっとりとした誠実なキャラクターや、彼の周りの人々の思いやり、とことん闘った末に議会で負けた折に紳士的に相手を賞賛する敵対勢力の議員たちなど、イギリスらしさを見せてくれる映画でした。
そんな人々の、正義のために戦い続ける姿の美しさと、最初は孤独な戦いであって、「若さと健康を犠牲にした」主人公の十数年に及ぶ奮闘、挫折から・・少しずつ理解者が増えていき、彼を支える人々も増えていき、やがて逆転する時が来るという清々しい時間の流れが映画の後味としては強いのですが、もう一つの輪としてはやはり、奴隷制というものがわずか200年前に、実際に世界各地で存在していたということへの、改めての驚き、疑問や憤り。人間って、そんなことをするのだ・・と改めて。イギリスだけでも1100万人のアフリカの人々を「奴隷にして」船でアフリカから新大陸へ運び、現地での労働に就かせていたという。船旅で、半数が死んでしまうのだとか。現地の過酷な状況でも多くの人々が亡くなったという。
わずか200年前に、そんなことが起きていた。イギリスだけでなく、フランスもアメリカも・・・主人公ウイルバーフォースは、キリスト教者として熱心で、途中で政治家を辞めて隠遁したいと願っていた時期があり。蜘蛛の巣や、天にいる神に語りかけたりすることに喜びを感じている自分はもう、政治家は無理だと感じている頃に、奴隷解放運動の活動家の人々に懇願され、政治の場で、信仰心を形にすることで世の中を変えるのがあなたの使命だと・・人々の願いを引き受ける形で政治の場に残り、体を壊しながらも長い時をかけて、法案可決を実現する。信仰心という強い土台があればこそ、成し遂げられたと言えるかもしれません。
賛美歌「アメイジング・グレイス」は、彼が子供のころから世話になった神父が作詞作曲したものだそうで(実話)、神父は奴隷船の船長として働き、2万人の奴隷を新大陸に運んだ。ある時に自分の「罪」に気づき船長を辞め、聖職者になり、贖罪の心を持ちながら神に仕え、「このような罪深い私でも神はお許しになった、なんという恵みだろう」という、その歌詞に思いを込めているのだとか。
良い映画です。俳優陣もそれぞれが、イギリス映画では主役を張るような人たちばかりが出ている点でも、クオリティの高い作品。
興味ある、という方はぜひ見てみてくださいね。
イギリスの歴史の勉強としても良い作品です。当時も書いているように映像も音楽も演出も俳優陣も、かなり質の高い映画ですが、今、天使の導きのように久しぶりに見ることになった事の背景、意味は、自分ではいろいろと当時の自分のブログの内容や時期やキーワードなどから、納得もしました。
自分でこんなことを書いています
「愛・奉仕・・への破壊」それが「癒される」という時期なのかもしれないというフレーズ。この2018年は私にとっては大変な年でしたが、1月のこのころはまだ、それまでの空気感のよう。けれどもこの記事のあと、月は2ヶ月後になっていて、このブログを閉じて、新しいブログにリニューアルしていたので、かなりエネルギーの変化の潮流が来ていたのだなと。
その少し前、何か来ていますよ.. という前触れのようなタイミングでこの映画、そして同じ記事内で紹介しているダライラマ14世の『クンドゥン』を見ていて、「現実は最大の教師」というダライ・ラマの言葉に触れている。
あれから7年経過して。この7年は占星術的にも「方舟期」と呼べるような時期で、各自が自分なりにノアの方舟に乗る、乗り続ける、つまりそれは生き延びるという意味ではなく、向き合い続ける、問われ続け試され続ける、という事だと思いますが(映画『ノア』ラッセル・クロウ主演、を見るとまさにそのような感じ。ノア一家が分離しそうになるほど、神のテストは厳しい)、その「方舟期」が終わったらしい、と感じて、最近あちこちに書いているこの時期に、何気なく導かれた映画からの、過去記事からの、自分のソウルからのメッセージは、なかなか、頷けるものがありました。
記事の後半、『クンドゥン』についての文章から自分で振り返り窺えるのは、「現実は自分が作るものだ」という、そのような境地にかなり押し出された時期だったと思います。けれどもそんな事はなかなか、すぐにマスター出来るものではなく、練習課題が続く。その始まりのような2018年だったと思います。
そこからの7年が過ぎて。満月もなかなかパワフルでしたが、明日は秋分。本当に、方舟期の区切り目なのでは?と感じています。誰にとっても。
この映画は、監督が「政治の大切さ」を若い世代に伝えたくて、けれども敢えて歴史物にして、奴隷解放のイギリス版(アメリカよりも先だった。それも戦争ではなく議会で叶えられた)をテーマに選んだのだとか。ブログにも書いたようにたった200年前にこのような不公平な世の中だったのかと信じられない気持ちも湧いて来ますし、名曲の背景にひとりの神父の深い後悔、懺悔、贖罪(罪のあがない)が込められていると知ると、尚更に感動的なメロディ、歌詞に聞こえて来ます。
奴隷船の船長として過ごしていた若い男性。船乗りになったことでたまたま、奴隷貿易に「巻き込まれた」。多くの黒人たちが犠牲になり船上でひどい扱いを受けて亡くなっていくのを見ていた。けれど良心から耐えられなくなり、神父になったのだとか。
そう。「贖罪」というのも実は、今ちょっと個人的にはテーマです。アトランティスの… という遠いお話ですが。
… と、図書館の天使ならぬ、DVD棚の天使、なかなかのお仕事ぶりで。野性の勘と、季節の変わり目と、記憶はないけれど自分に影響しているだろう古い「犠牲」とその反対の「贖罪」の原型エネルギーや、人間の自由や平等や尊厳といったテーマが、静かだけれどざわめいている、方舟期の終わり。2024年秋。あれから7年か。
今日はこのくらいで
Love &Grace