もし強さと賢さを合わせ持っていたら
ヒトは地球や自然界の変化に対応することで進化した。ネアンデルタール人のほうが体も脳も大きく無敵だったらしいけど、小柄でひ弱なサピエンスは謙虚に地球環境に自分を合わせてその都度変化できた為に生き延びている。
個人の人生やビジネスなども同じく。変化を避けていては成長・進化は止まる。ネアンデールタール人はなぜサピエンスより優れていた(かもしれない)のに絶滅してしまったのか。・・その理由は、
恐らく自分ひとりで、あるいは家族単位で大型哺乳類と戦う筋力や体格の持ち主で、屈強だった。つまり強かったから・・(ではないかと推測されているらしい)
サピエンスは集団を作って束になって立ち向かわなくては狩が出来なかった。そして、必要だったから知恵を絞り、道具を作り、狩りの効率を上げて生き延びた。
もちろんサバイバルの話をしたいのではなく(それも大事だけど..)進化成長とは、「必要に迫られる」、何かこう、逼迫した事情がお尻につけた火の役目を果たして、プレッシャーが人を成長させることは間違いない。
楽なほうへと流れていくと、成長変化が起こらないだけではなく、ある種の病のようなメンタルの劣化も起こって来る。色々な古典的宗教で欠かせない「修行」、部族社会の「通過儀礼」などもきっと同じだ。追い詰められ、それを通り越し研ぎ澄まされた瞬間に、突然的な成長の感覚が降りて来て、人は器を広げる事が出来るものだ。
ネアンデルタール人は、意識状態がサピエンスとは違っていたのかも?と時々考える。ジブラルタル海峡を望む、最後の生き残りが生を終えた場所かも?という海辺の洞窟遺跡があるらしいけれど、
サピエンスならば船を作って海を渡ったり、何とかして生き延びようとしたかも? 勝手な想像だけど、どこか達観した旧人最後の一人が、海を眺めて一人、動物の骨から作った釣り針を磨いて釣りをしながら、孤独もまた受け入れながら、生を終えたような様子を想像してみたりしている。
とはいえ、現代人にもネアンデルタールの遺伝子が入って居る事が最近分かったという。だから「絶滅」はしていないのだ。
強くもなく、賢くも無かったから、常に工夫を凝らして進化成長してきた「サピエンス」族の一人として。
豊かになって便利になって、さらにAIに色々やってもらえる時代が来たけれど・・怠けてマインドが低迷しないよう、新鮮な驚きや喜びや、自分を磨いて研ぎ澄ませていくことを、忘れずに居たい。
(2022 Jan/ by Twitterの呟きに加筆)