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天使になった赤ちゃんの使命

ここからは、その後、同じような体験をした人の本を片っ端から読んで、自分なりに考えてみたことを書く。

一番衝撃を受けた本は「赤ちゃんの死へのまなざし」(竹内正人著・中央法規)。まさか湘南鎌倉総合病院が舞台となっているとは知らずに読み始めたので、バースクリニックの院長、日下先生が「若手のホープ」として登場したときは震えた。今から14年前の出来事が語られていた。こういったこともあり、病院でのケアが行き届いていたんだなと、この病院でよかったとあらためて感謝した。
死産を経験した井上さんご夫婦のレポを読んで感じたのは、こういう特殊な経験をしたことが何かの役に立ってほしい、という気持ちになるのは分かるなぁ、ということ。井上さんはソーシャルワーカーをされていたご経験もあり、死産した家族へのケアを行政に訴えてみるなど、私以上にアグレッシブな方なようで、私にはとてもそこまでの行動力はないけど、私もやっぱり、この経験が少しでも役に立つなら、このつらい思いも報われると思った。
あとは、何か目的を持って行動することで、当面の生きる力にはなるのだろう。何かやるべきことがあるというのも、悲しみをやり過ごすためには必要だと思う。
火葬の日の夜に、どうやったらこの悲しみから抜け出せるのか考えた。生きている人には「未来」があるから、未来に希望さえあれば、明日を生きることができる、と気づいた。よく聞くような言い回しではあるけど、こんなときでも「私にはまだまだやりたいことがある」と思えたので、私はどん底から這い上がれると思えた。そう思えたのは、未来あるまだ2歳のマルがいることや、夫と行きたい場所、食べたいものがあるから。やりたい仕事もある。そして、私が活躍することを喜んでくれる人がいると感じることができたから。

何年経ったら癒されるのか。
これは一つの目安として、「4年」という数字があった。(なるほど、だいたい三回忌なのね。)
でも、ファミサポの紹介でマルの送り迎えをお願いした佐藤さん(仮名・70代女性)は今でも思い出すと涙が出るという。佐藤さんも二人目の赤ちゃんを医療ミスと思われる事故で出産中に亡くされていた。きっと何年経っても癒えることはないし、同じような話を聞けば思い出し、苦しくなるのだろう。
前出の書籍では、死産は50人に1人の確立であるらしい。とはいえ、臨月に入ってからの死産の割合はそこまで多くないだろうに、同じような経験をされた佐藤さんが私たちの家にお手伝いに来てくれるのも、何かの縁を感じる。佐藤さんは思い出して辛いだろうけど、私は、この気持ちをわかってくれる人と会えてよかった。きっと、おばあちゃんになっても悲しみは癒えないけど、それがいつか誰かに寄り添える材料になればいいなと思った。

それから、胎児記憶といった視点から、「赤ちゃんは何らかの使命を持ってこの世にやってきた」「赤ちゃんは自分でお母さんを選んできた」「生きられないことはわかっていて、それでもお母さんを選んでやってきた」という趣旨の本も多かった。以前だったら何も心にひっかからなかったこういった言葉たち。まるまる信じるわけじゃないし、都合のいい解釈だとは思うけど、「そう思うことで気持ちを楽にしているんだな」と、そう思いたい気持ちはわかった。
そして、私なりに、伶ちゃんが来てくれたことに、理由をつけるならば、と考えてみた。

一つ目。「伶ちゃんは私を休ませるためにやってきた」説。
伶ちゃんがお腹に来て3か月目くらいに、私は一人旅に出た。生まれたら、また一年は何もできなくなるからってことで、3泊4日の家事育児休みをもらって、一人で下呂温泉へ行ってきた。ただひたすら、宿で本を読んでは温泉に入るだけ。一人旅だと思っていたけど、お腹には伶ちゃんがいたから、ほんとは伶ちゃんとの二人旅だったんだね。ゆっくりできました。温泉、気持ちよかったよね。
そして、今回の出産で、産後休暇8週間。赤ちゃんがいれば2時間おきの授乳、おむつ替えで寝る時間もなくてしんどい時期だけど、伶ちゃんがお空に行ってしまったから、私はただ、休むだけ。一か月先までの予定が何もないなんて。みんなが休め休めと言ってくれて、公然と休める時間。ゆっくり休んで、じっくり考える時間を与えてくれたのかな。

二つ目。「子育てをさせてもらえる幸せを教えてくれた」説。
二人目妊娠期間中の話へ続く)

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