セクシャリティの自覚

なるほど、私はどうやらアセクシャルらしい。

最近知った事実。というより、その言葉、概念に出会ったばかりである。まさか、性的欲求がないということが、ひとつの概念として、言葉としてあるとは思っていなかったので、偶然の出会いとはいえ、とにかくとても吃驚した。

私は、セクシャリティだけではなく、思考そのものが周りと合わないという”違和感”を、小学生の頃から感じていた。最初は、なんで分からないんだろうと思ったけれど、いつしか、違和感は日常になり、周りと違う自分は当たり前になっていた。自分は自分だけのもの、自分を理解できるのは自分だけ。自然とそう思うようになってからは違和感を口にしなくなり、すべておいて、理解してもらえない、という考えが前提となった。それは、本当は理解してほしい自分を心の奥底に閉じ込めてしまったんだなと思う。だから、今回アセクシャルという概念に出会ったとき、ああそろそろ、この心を解放してもいいのかな、もしかしたら、理解しえる誰かがいるかもしれないな、と思い、すこし安堵した。

そうして、今日、ここに書いてみることにした。

書いて何かが変わるわけではないかもしれない。ただのつまらない独白で終わるかもしれない。理解しえる誰かには結局出会えないかもしれない。

でも、ずっと心の奥底にいた理解してほしい自分と向き合う時間になればいいなと思っている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?