30代にもなると、多くの友人は結婚し、子供を授かって、家庭を持つようになるので、やはりそれが世間一般の”普通”であると再認識させられる。そうだなあ、私がその”普通”をおそらく経験しないんじゃないか、と思い始めたのは高校生くらい。 まず、私は子供が好きではない。自分の子供は可愛いという言葉をよく耳にするし、沢山言われてきたが、そうじゃない。赤ちゃんや子供を前にして、可愛いという感情が生まれないのだ。今も、友人たちの子供を失礼ながら、可愛いとは思えていない。だから、早い段階で、
いくつかの記事にわけて、自分語りをします。生い立ちも含め、思考が形成されたのはいつくらいで、どう変化してきたのか、客観的に捉えてみたいと思います。アセクシャル含め、色々と勉強中なので、もしかしたら間違ったことを書いてしまうかもしれません。不快に思われないように注意しますが、もし、少しでも嫌だなと思ったら、読まないようにお願いします。 私は自分が性的欲求がない、あるいは薄いかもしれないと自覚したのは大学生になってから。(まあもしかしたら、今後出てくるかもしれないので、現時点で
なるほど、私はどうやらアセクシャルらしい。 最近知った事実。というより、その言葉、概念に出会ったばかりである。まさか、性的欲求がないということが、ひとつの概念として、言葉としてあるとは思っていなかったので、偶然の出会いとはいえ、とにかくとても吃驚した。 私は、セクシャリティだけではなく、思考そのものが周りと合わないという”違和感”を、小学生の頃から感じていた。最初は、なんで分からないんだろうと思ったけれど、いつしか、違和感は日常になり、周りと違う自分は当たり前になっていた