見出し画像

頂頭懸-1 みすみすチャンスを逃した

銭育才先生著「太極拳理論の要諦」p218から

 ある日曜の朝、いつものように北京展覧館の西側の空き地で練習していたら、傍らで何げなく見ていた顔見知りの小父さんが、近づいて来て、「″頂頭懸″(″虚領項勁″の通俗的な言い方)に注意しなさい」と言いながら、丁度低い姿勢の″単鞭下勢″を完成していた私の肩を指一本で軽く触れました。
私は見事に尻餅をつきました。
 私は黙って立ち直り、右足を低く曲げて、重心に注意しながら、左足を伸ばして、もう一回その姿勢を繰り返しました。
 しかし、同じく軽々と指で押し倒されました。
 ″まだ分かっていないね″と言って、小父さんは暫く私を見つめていましたが、まもなく静かによそへ行きました。
 それ以後彼は二度と其処に姿を見せませんでした。
その時私はさっぱりと、素直に意見を受け入れて、小父さんにうやうやしく教えを請うべきでした。
 ところが、初心者でもない、四十歳で男盛りの私は自尊心が傷つけられたと感じ、顔を真っ赤にして黙り込んだまま彼の目付きを避けました。
 後でよく考えて見たら、小父さんが気づいた欠点を私に言ってくれて、しかも私の体に触れてそれを証明した以上、つまり彼が、真剣に間違った練習をしている私を見るに見かねて、心の中では教えてくれる気が閃いていたはずです。
 ですから、もし私が、もう少し自分のことをわきまえる″自知″の聡明さがあり、チャンスをつかんで謙虚に教えを仰いだら、彼がその場で″虚領項勁″の真意を教えて下さったに違いありません。
 実は、こんな(知っている人が進んで教える)チャンスはめったにないのです。 
 不適当な自尊心のせいで、みすみす良い勉強の機会を逸した私は、それから十余年たってやっと″項頭懸″の重要性を知ったのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?