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「選ぶ」という行為と「価値観」の形成

こんばんは。最近自分の中で気づいたことがあったので、言語化します。

日曜日に母とドンキに行った時の話。(そう。あのドンキ。)

私の母は美容に関した知識を豊富に持っている。その為、母は食べ物から化粧品、シャンプーなど、体を生成するものの選択には、普通の人の数倍気を使っている。

そんな母と昨日、ドンキの化粧品のスキンケアコーナーに立ち寄った。ドンキと言えば品数が豊富で、何を選べばいいのかわからなくなってしまう。しかも、パッケージには購買意欲を誘うようなキャッチコピーやグラフィックが施してある。

こんな品数の多い中、うちの母はどのように「選択」をするのかを観察してみることにした。いわゆる、母のエスノグラフィー(笑)

母は商品を手に取ると、真っ先に成分表記を上から下まで眺めていた。カラフルで魅力的なパッケージには一切踊らされない。良くない成分の名前を見つけると他の製品に取り替えては、隣の商品へと手が伸びていく。容赦ないし、迷いがない。恐ろしい速さで棚中の商品が成敗されていった。

どうやら値段もブランドも全く関係ない。しかも、パッケージに「ボタニカル」や「無添加」「オーガニック」等の一見良さそうな言葉が並んでいる商品も次々と見捨てられていった。凄まじい。一体どういう判断基準何だろう。

気になったので、一見良さそうな商品を片手に、何がダメなのか母に聞いてみた。すると母はいくつかの成分を指差し、「あー。〇〇(成分)が入ってる。これは最悪だわ」とか「〇〇を使ってるのは良いけど、〇〇が入ってるから、これは私たちの肌には合わないね」とか言っていた。

母曰く、「オーガニック」などの言葉を使っている商品でも全然オーガニックじゃない商品ばかりなんだとか。例えば「ミネラルオイル」。響きは良さそうだけど、こいつの正体は「鉱物油」。つまり、石油やプラスチックを生成する際に排出される「廃油」である。だけど、よくよく考えると石油って人工物ではなく、自然の中で作られたものであるから、オーガニックと記載しても問題ないらしい。(衝撃w)

昔は精製技術が低かったことから、ミネラルオイルに不純物が混ざっていた為、シミの原因になっていたそうだ。今はだいぶ良くなったらしいが、真相はわからないので怖いというのと、ミネラルオイルは植物由来のオイルに比べ、肌の中には浸透しないので、塗ってもあまり意味がないこともあり、母はこの成分が入っているものは顔には塗らないそうだ。(かかととか肘はどうでも良いから塗るんだって笑)


こんな感じで母は1つ1つの成分に対して、とんでもない量の知識を兼ね備えており、充分に理解した上で自分の体に使うものを選択している。

価値あるモノを選ぶためには「知識」が必要なのだ。「価値観の形成」と「知識」は密接な関係にあるようだ。

私はありがたいことに、母と話をしたり買い物に行くたびにその膨大な知識を受け継いでいる。少しずつだけど、良いものと悪いものの判断基準ができるようになってきた。パッケージ等の謳い文句やブランド、価格に流されることなく、自分の価値観で選ぶことは、モノに溢れている現代社会において、とても重要なことだと思う。

利益の為に消費者を騙すような現代社会のビジネスサイクル、どうにかならないかな。そんなことを考えながらも、世の中に売られている商品達は現在の消費者達の価値観を映しだす鏡なのかもしれないとさえ思う。

つまり、消費者の価値観が研ぎ澄まされていかない限り、世の中は変わらないということ。知識は、本質を見極める為の篩の網目。

私は値段やパッケージ、ブランドに流される大人にはなりたくない。篩の網目が細かい人間になりたい。いつだって自分の価値観に従い、本当に価値あるものを選択できる大人になりたい。

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