【楽曲紹介】「生まれ変わり」に関する態度決定
私の知る限りの「生まれ変わり」ソングを集めてみたのでご紹介します。「輪廻転生系ソング」とでも言いましょうか。
おそらく他にもたくさんあると思うので、ここに挙げてないオススメ曲があれば教えていただけると嬉しいです。
ちなみに今回は、「一度命を終えて別の命に転生する」という意味での「生まれ変わり」に関する楽曲を対象にしていて、「生まれ変わり」自体が別の事柄の比喩として用いられている楽曲は対象外です。
【本編】
①Yellow Yellow Happy / ポケットビスケッツ
やっぱり最初はこれですかね。ポケビの2ndシングル。
歌詞の1行目から転生ポイントです。
決意と覚悟を感じさせるとても力強い歌詞。
千秋さんの硬質な声と合わさって、更に強度を増している印象。ダンコたる決意ってやつでしょうか。
「この色」という表現やタイトルの「Yellow」から黄色人種(特に日本人?)が示唆されていることは明白かと思います。
(この曲を初めて聞いたのはたしか幼稚園児くらいの頃だったかなと思いますが、この歌詞の意味に気づいたのは後になって聞き返したときです。)
千秋さんが女性の中でも小柄なこともあり、「この体」という部分も、(「色」ほど歴史的・政治的な意味合いはないにしても、)周囲よりも不利な条件を背負う自分を指しているようにも読めます。
「生まれ変わっても また私に生まれたい」という強烈な自己肯定。
しかし、「生き抜いてきたんだから」というところもあわせて読むと、精神的にかなり切迫した状況にありそうな感じがします。そこまで強く自己肯定しないと、正気を保っていられないような。
千秋さんの声も(あえてかもしれませんが)やや余裕のなさを感じるので、余計にそういう印象を受けます。
何にそこまで追い詰められてるのか、気になるところ。
②ジブンアップデート / 私立恵比寿中学
実はこの記事を書こうと思ったのは、今朝この曲を聞いたからです。
今日5/3に発売された私立恵比寿中学の最新シングル『kyo-do?』に収録されているカップリング曲。
(同シングルの表題曲を聞いた際の日記&感想は別の記事にしました。)
さて、転生ポイント・1番サビの歌詞は以下のとおり。
この「生まれ変わっても また自分になりたいくらい」の「生まれ変わり」も、「Yellow Yellow Happy」の歌詞に近い意味合いでしょう。
さらに、これより前の部分の歌詞で、「これからは自分の心が躍ることを判断基準としていく。そう自分をアップデートする。」という決意が示されています。
このことを踏まえると、サビの歌詞は、アップデート後の心持ち(これもある種新しい自分に「生まれ変わった」ということですが)として、「生まれ変わってもまたこの私になりたいくらい自分を肯定できるようになった」という意味になると思います。
他方で、自分を肯定する以上、どういう選択をしてもその結果をこの身に引き受けるという覚悟も語られています。強いですね。他責思考の強い私も見習いたい。。。
ちなみに、この「また私になりたいくらい」の部分を歌っているのは、悪性リンパ腫という病気と闘い、生死の淵に立った経験のある安本彩花さん。
寛解後、アイドル活動を再開した彼女の姿は、生きている実感と喜びに満ちていて、彼女は歌声と全身でそれを表現しています。自らの生を全うしようとする彼女の姿に胸を打たれ、心を震わされるファンは少なくないでしょう。
彼女が歌うからこそ、このフレーズは尋常ならざる説得力を持ちます。Viva la vida。
③生まれ変わっても / トータス松本
ウルフルズのボーカル・トータス松本さんのソロ名義の楽曲。アルバム『NEW FACE』に収録。
この曲は個人的に好きな曲ではあるものの、そこまで聴き込めていないので、歌詞をちゃんと理解できていないかもしれません。悪しからず。
最後の2行の部分を変えたパターンが、他に2つ出てきますが、ここでは割愛。
ゴスペル風に何重にも重なったコーラスを背にして歌うトータスさんの、渋くも哀愁のある歌声。素敵すぎます。
私が見たところでは、「夜更けにひとり、相手に届くことはないにもかかわらず、どうしても好きな想いが溢れてしまい、その想いを口にしてしまう」というシチュエーションが描かれていると感じました。
ひとりでいること(=相手の不在)から逆説的に相手の存在をより強く感じてしまい、「自分が相手のそばにいる」という夢のような日々を想像する。
まだ想いは届いておらず、結ばれてもいないが、相手を想うときの幸福感と充溢感から、生まれ変わってもまた君に逢いたいと願う。
(今はこの幸福感と充溢感があるので「そう だから 今は いらない 君の返事はまだ 夢の中」ということでしょうか。)
「生まれ変わってもまた君に逢いたい」ってすごいことですよね。これ以上の「好き」の表現があるんだろうか。
ちなみに、「もしも生まれ変わっても また君に逢いたい」の後に「嬉しい時や はしゃぎたい時 僕が一緒にいると変かな」と続く部分もあるのですが、実は私が1番好きなフレーズはそこです。
「僕が一緒にいると変かな」という自信のなさ・拙さ。はたから見たらすごくじれったい表現ですが、そこにとてもグッときます。これで惚れない人いるのか?
④生まれ変わり / 星野源
2010年代以降の日本のポップ・スター、星野源さんの楽曲。アルバム『Stranger』に収録。
全体的に、身体感や肌触りが伝わってくるような歌詞がとても印象的。
転生ポイントは以下のとおり。
ここは読解が極めて難しいです。
分かるのは、
「生まれ変わり」があるなら人は歌を歌わない
→「生まれ変わり」がないからこそ人は歌を歌っている
と考えられているということくらいでしょうか。裏は必ずしも真ならずですが、おそらくこう考えているのだろうと推測することは許されましょう。
ところで、歌詞の中で「生まれ変わり」という単語が出てくるのは前述の部分だけです。
印象的なフレーズではあるものの、曲のテーマは別に「生まれ変わり」に重きを置いていないように思えますので、そこの一部分だけをとって「生まれ変わり」と題することに関しては、違和感というか、チグハグな印象を覚えます。
そこで、歌詞全体を読み直してみたところ、次のようなことが言いたいのではないかと思いました。
たしかに、前述の部分では「一度命を終えて別の命に転生する」という意味での「生まれ変わり」なんていう事態はない、ということを間違いなく言っていると思います。
他方で、歌詞全体からすると、ひとつひとつの命が生まれては消えていき、その中で命と命とによる関わり合い・営みが連綿と続いている、そういう事態を具体的な情景によって描写しているように思われます。
このことからすると、タイトルの「生まれ変わり」は、むしろ「次々に命が生まれては消えていくという人類の営み(※)レベルで見た場合に、新たな命が生まれることで個々の命の生の在り方が変わっていく」という事態、いわば「生まれ、そして変わる」という事態を指しているのではないでしょうか。
ここまで書いたものの、解釈とも呼べないような私の稚拙な文で、この曲の良さを台無しにしている気がしてなりません。。。星野さんカッケェ。
※:人類に限る必要はないかもしれませんが、説明の簡略化のため、人類としています。
以上、輪廻転生系ソングの紹介でした。
【番外編】
①メレンゲ / マカロニえんぴつ
これはちょっと違った観点というか、「生まれ変わっても」という文脈ではないところでの「生まれ変わり」フレーズなので、番外編として(上記の④もそうと言えばそうなのですが)。
この歌詞、めちゃくちゃ好きなんですよね。
聴いてても自分で歌ってても、胸に刺さりすぎて毎回泣きそうになります。
私も自分のことを好きになれない人間なので「僕を好きになりたい」というところは単純に共感できます。しかし、それだけであればあまりにも平凡。
はっとりさんのはっとりさんたる所以、非凡さの証は、「生まれ変わったりする以外で」と繋げるところだと思います。
生まれ変わった後に自分を好きになる可能性はあるかもしれませんが、それは次のチャンスに賭けているわけで、要するに今世は諦めているわけです(そもそも「生まれ変わった後の自分は本当に自分なのか」という疑問もありましょう)。
逆に「生まれ変わったりする以外」の仕方で「僕を好きになりたい」という歌詞にすることで、あくまでも、「今ここに存在していることを肯定したい」という切実な想いが描き出されています。
さらに、重要なのは「また僕を好きになりたい」の部分。
おそらく多くの方が、幼い頃、自分の存在に何の疑問も持たずにありのままに生きていたことがあったはず。しかし、いつからかそう生きられなくなってしまったという想いを抱いたことがある方もいるでしょう。
しかし、それでもやはり再び「いまここにあるこの生」を喜び、それを全うしたい。
そういう叫びを代弁してくれる歌だと感じました。泣ける。泣ける。
本編で挙げた楽曲はどれも、「生まれ変わっても私になりたい」、「生まれ変わってもあなたに逢いたい」と表現することで、今の自分や相手への想いを肯定・強調していたわけですが、この歌では、むしろ「生まれ変わり」という道を捨てることで、「いまここにある生を肯定したい」という想いを強調する構造になっています。
はっとりさんは私と同世代くらいなんですけど、歌詞の言葉選びが凄すぎて尊敬しかないです。
当たり前ですけど、自分には絶対思いつかない歌詞。
「恋人ごっこ」、「なんでもないよ、」、「リンジュー・ラヴ」などの方が目立っているかもしれませんが、この曲も凄く素敵な曲ですので是非ご一聴ください(YouTubeにMVもあります)。
②久保帯人『BLEACH』27巻
名言が多いことで知られる、ジャンプ王道のバトル系少年漫画『BLEACH』。
しかし、この作品の名言ランキングがあったら(既にあるかもしれませんが。)、以下のセリフは絶対3位以内に入ると思います。
もはや楽曲でもないので番外編の番外編みたいな感じですが、どうしても挙げざるを得ませんでした。
さて、ここで挙げるのは、主人公・黒崎一護に片想いする、同級生の井上織姫のセリフです。
場面を簡略化して説明すると、織姫は、敵によって一護を含む仲間の命を盾に取られ、「自分達のところに来い」と脅されます(なんでそう脅されるのかは理由があるのですが割愛)。そして、織姫はやむを得ずその敵に従うことを決意します。
しかし、当の敵は、織姫に対し、自分たちのところへ来る前に仲間の1人にのみ別れを告げることを許可します(ただし、仲間に気付かれることはNGという条件付き)。
そして、織姫は、直近の戦闘で意識を失った一護の元へ向かい、そのままの状態の一護に別れを告げます。
以下は、その別れの言葉の一節。
いや、やばくないですか?
恋愛要素ほとんどない漫画のくせに、ここでこんな秀逸なセリフぶち込めますか?
このセリフ、井上織姫のキャラにぴったりすぎますし、言ってるときのコマ割りや絵も含めて私の中では完璧なシーンです。
後半部分が素晴らしいのは自明ですが、前半部分の①「ミスドに行って……言いたいし…」の後の、②「サーティワンに行って……言いたかったし…」が凄すぎる。
織姫は、①の段階では、空元気で、明るく能天気な希望を述べているつもりで話していたものの、②の段階で、敵のところに行けばもうこの人生ではその希望が叶わないであろうことを悟り(=思い出し)、空元気で①を述べていた自分を再認識して、悲しさ・諦念の心情へ移行していったのでしょう。
その心の動きが太字部分への変化に現れています。
脚本が凄い...。
読んだことない方は、他の巻はいいのでぜひ27巻だけでも買ってみてください。
番外編の方が熱が入ってしまった感は否めないですが、良しとしましょう。
一口に「生まれ変わり」といっても色々な捉え方があるようですので、「生まれ変わり」に対する態度決定の差異と布置をより深く考えてみるのも面白いかもしれませんね。
それでは。