インドネシアRPG紀行(3日目)
最終日の朝。今日も礼拝を促す歌のおかげで早起きだ。ジャカルタを発つフライトは14時。そうダラダラしている時間はない。いつものようにホテルでの朝食を済ます。あいかわらず居心地はいいがこれも最後だ。部屋に戻り荷物をまとめる。せっかくの戦利品だ。ベッドの下まで覗き込んで忘れ物がないかチェックする。フロントに降りると、ちょうど顔なじみのスタッフだった。勤務のタイミングの関係か、顔を合わせることが多く、彼とはその都度会話をしていた。チェックアウトの手続きとともに彼にも別れを告げる。「また来てくれよ」と言葉をかけられ、写真撮影まで頼まれた。お互いのスマートフォンで自撮りをする。少し顔が近すぎる気もするがこれもいい思い出だ。ここからは別れの連続だろうな。最終日の冒険が始まった。
おなじみとなったRajawali駅に向かう。道中、ランドリーの横も通ってみる。まだ営業はしていないようだ。返してくれなかった100均の袋がまだ生きていたらせめて有効活用してくれ。滞りなく駅に着き、変動制の電光掲示板にも戸惑うことなく鉄道に乗った。ずいぶんと慣れてきた。ただ、慣れたころには旅が終わる。短期旅行の悲しい宿命だ。でもまた来ればいいじゃないか。やり残し、心残りが再訪のエネルギーになる。感傷的になったがまだ旅は終わっていない。空港に着いていないとか自宅に帰るまでが旅ですとかそういう問題ではなく、純粋にやること、やりたいことが残っていた。
目的地はコタ地区だ。昨晩訪れた歴史地区だ。思ったより街歩きが楽しく再訪したかったのだ。行きたいところは時間の許す限り何回でも行く。一人旅の醍醐味である。Jakarta Kota駅への直通電車がなかったため、途中で降りてひたすら歩く。期せずして通勤ラッシュに巻き込まれ、駅からの大行列に混じって歩く。途中で買ったコーヒー片手に歩く。悪くない。30分ほど歩いて目的地に到着した。明るい時間帯だとまた印象が違う。来てよかった。さらに1時間ほど散策してこのエリアの街歩きを終えた。
時刻は10時半。フライトまでは3時間半程度だ。空港まではだいたい1時間くらいかかる。国際線であることを考慮するとここいらで空港に向かうのが賢明だ。しかし、私はそれほど賢明ではなく賢明さも求めていない。まだコーヒー生豆を手に入れていない。私は紹介してもらった郊外の店に行くことにした。現在地からコーヒー屋まで約30kmで1時間ほど、コーヒー屋から空港も約30kmでこちらは45分ほど。チェックインの締め切りは13時10分。単純計算では問題ない。行ってみよう。
交通手段はさすがにタクシーがよさそうだ。しかし、タクシー情報は何も知らない。近くを聞いて回ると、タクシーステーションがほどほどのところにあるらしい。早速向かってみると青い車体が集まっていた。幸先よし。たむろっているスタッフに話しかけてみる。若そうな人が英語でのコミュニケーションがとれるらしい。コーヒー屋経由の空港ルートで打診する。すると「彼はアプリで入力してくれ」と。まずい。アプリだ。電話番号が必要なやつだ。またもや電話番号の壁に阻まれるのか。「電話番号がないからアカウント登録できないんだ」若者にそう伝えると彼はそうだよなの表情。うん、そうだよな。早合点しその場を去ろうとすると慌てて彼に止められた。そして彼は言った。「メールアドレスでも登録できる」と。僥倖。ついに配車アプリのアカウントを作成できる。言われるがままにMyBluebirdというアプリを落とす。以降の操作は彼がやってくれた。この旅で初めてのワンタイムパスワードを受け取る。待ち焦がれたワンタイムパスワードだ。コピーせずに魂を込めて入力し無事にアカウント作成完了。作成開始から完了まで約3分と実にスムーズな流れ。タイムリミットがある私にとってはありがたい限りだ。無事にタクシー・Bluebirdは出発した。握手の代わりに窓越しのサムアップが送り出してくれた。
気持ちの面でも勢いよく滑り出したタクシーだが早速渋滞に捕まった。バイクでは経験できなかったがこれは完全に渋滞だ。十分に滞っている。Googleは承知しているようでちゃんと道路は赤い。想定の範囲内だ。ゆっくりとゆっくりと走り、Googleでいうところの黄色いゾーンに入る。ここに来るとそこそこのスピードで流れる。なんならけっこうなスピードだ。思わずGoogleを更新する。予定到着時刻は変わらない。あれ?なんか遅いぞ。これでも同様の結果だ。そんなことはすでに想定されているのである。私はメガテックの掌の上で転がされているだけなのかもしれない。何が旅だ。私なんぞ所詮はGoogle様の意思を遂行しているだけの媒体に過ぎない。「highway!highway!」危ういところに片足を突っ込んでいるところで運転手に声をかけられた。高速道路に入ったのだ。アクシデントがない限りは大丈夫だろう。巡航への不安が軽減されるとともにジャカルタの景色の見納めが不十分だったことを後悔する。時間はタイトだがまだ余裕はある。それに旅の途中だ。この景色を楽しまなくてどうする。モードを切り替えて車窓や運転手との会話を楽しんだ。
高速道路を降りた。目的地はもうすぐだ。ジャカルタのあるジャカルタ首都特別州を出て、バンテン州に入っている。道路の余白が多いし、雰囲気もずいぶんと違う。少なくともここではジャカルタの猥雑さは感じられない。ほんのわずかではあるが、ジャカルタ以外の風景も見ることができてよかった。時刻は11時半。ほぼ予定通りの到着だ。あの渋滞含めてこんなに正確な予想ができるならジャカルタの本屋情報を充実させていただきたい。そんなことを考えていたら目的地に着いた。10分で戻ってくると運転手に高らかに告げて私は向かった。
私は少し弱気だった。というか期待薄感に包まれていた。というのもこの店の外観がオフィス然としすぎていたからだ。圧倒的BtoB感といってもいいのかもしれない。一見のカスタマーかつ外国人の私には分が悪すぎる。自動ドアの向こうに見える1階には特にスペースがなく、階段が見える程度であった。やはり一般の来客はあまり想定されていないのであろう。以上が戦前の私の見立てである。自動ドアの横にあるインターフォンを押す。応答の声。単刀直入に要件を伝える私。インターフォン越しでも戸惑いが伝わる先方の声。しばらくすると何人かが1階に降りてきた。危害を与える人物ではないと判断されたのか自動ドアが開く。私は改めて要件を伝えた。話の内容は伝わったようだがレアなケースなのだろう。一様に思いが逡巡している様子だ。まずい。このままでは怪しまれたまま終わってしまう。そう考え、スマートフォンの画面を差し出した。昨日やり取りをした農園の方のinstagramだ。なんやかんやあって彼を紹介してもらいやり取りをしたが時間の関係で今回はダメだったことを伝える。これが功を奏した。「彼なら知っているわ」一人がそう答えた。ここで空気が一変してちゃんと買いたい人間であることが伝わった。オフィスに併設された倉庫を見せてもらうことになった。形勢逆転だ。体育館を思わせる広さの倉庫には世界各国のコーヒー生豆が保管されていた。そう、世界各国だ。海外の豆ばかり保管してあった。インドネシアから見た海外だ。ここは輸入専門の業者だったのだ。さらにいうと50kg以上からしか売っていないということも併せて伝えられた。私はインドネシアの豆が欲しいし、帰りもLCCだからさすがに50kgは厳しい。こんな見ず知らずの外国人に倉庫を見せていただき光栄でしかないが残念ながらここは引くしかない。複雑な思いを抱きながらもしっかりと礼を伝えたところ、何やら提案してくれる顔。近くにあるローカルコーヒー屋ならインドネシアの生豆を扱っているかもしれないとのこと。「ちょっと待ってくれ」案内をしてくれている方が電話をする。「聞いてみたら取り扱っているらしい。〇〇という人を尋ねるといい」なんですって。紹介につぐ紹介が発生した。人生で数少ない主人公イベントに違いない。カメラはまだか。音楽は何にしよう。うっせぇわ、そんなことを考えている時間はない。オフィスに着いてからは10分程度しか経過していないが、もう一つ行くとなると話は別だ。改めて感謝の意を伝えタクシーに戻る。一人がタクシーの横まで来てくれた。〇〇は日本人にはなじみのない発音で、その名前を忘れないよう繰り返していたからだろう。彼はタクシーの運転手にその名前を申し送ってくれた。感謝記録更新といきたいがキリがない。どの感謝も最高で最良で至高だ。どれが一番なんて争わないでいい。世界に一つだけのtrima kashiを伝え、次へと向かった。
5分ほどでコーヒー屋に着いた。これは間違いなくBtoCもやっている店だ。ジャカルタで行ったコーヒー屋に雰囲気は近い。時刻は11時45分。14時発のフライトの締め切りは13時10分で空港までは約45分。今回コーヒー生豆をゲットできたら荷物を預ける必要がある。となると残された時間はそう長くない。足早に2階に駆け上がり、〇〇に取り次いでもらう。椅子を勧められたが落ち着かずにぶらぶらして待つ。〇〇は別件が入ってしまったらしく代わりの若者スタッフが現れる。そこそこに挨拶を交わし本題に入る。「10kg、インドネシアの豆を買いたい」と私。「話は聞いている。準備しよう」とスタッフ。最後はあっさりだがここまでの経過を考えると感無量だ。人の縁を辿り、コーヒーの生豆を購入することができたのだ。圧倒的無敵感。目の前にはまばゆいばかりのカメラのフラッシュと大歓声。「おめでとうございます、この初生豆は誰にプレゼントしたいですか?」「いつ頃からいけると思っていましたか?」「これからの意気込みを教えてください!」この類の質問に答える準備は万全だったが、残念ながらまだ試合中だ。無理やり現実に引き戻す。交渉は成立したが、豆はおろか料金すら払っていないのだ。若者は度々席を外した。何かと確認がいるらしい。細かいニュアンスの理解のためにGoogle翻訳を併用していたが、途中では政府系への料金の確認をしています、とあった。いろいろハードルがあるようだ。しかし、その間も時間は刻々と過ぎる。すでに12時4分。あと1時間6分。いよいよ本格的に焦ってきた。よく考えたら現金の残りも少なく引き出さないといけない可能性すらある。彼にざっくりとした料金を聞く。圧倒的に足りない。とはいえ帰国前なので大量には引き出したくない。徒歩圏内にATMが設置されそうなコンビニがあることは確認できている。この待ち時間で金をおろそう。「今からIndomaretで金を引き出してくる」と告げ店を出る。時間がない。私は走り出した。先ほどの気分とは裏腹にウイニングランにはほど遠い。こんなときに限り数人待ちのATMに並んでいると、後ろから追いかけてくる人が。コーヒー屋のスタッフだ。彼はスマホ片手に通話をしている様子だ。「具体的な料金が分かったほうが引き出しやすいだろうからここで聞いてみよう」なんたるホスピタリティ。鮮度のよい料金を彼から聞き、私は金を引き出しその場で渡す。帰りは2人でランニングだ。素敵なペアランである。急いでオフィスに戻り、豆とおつりを待つ。待つこと数分、豆が来た。ようやく会えた。耐久性が高そうな白い袋(chatGPTに聞いて検索したところバルクバッグが一番近い)に入っている。次はおつりだ。日本円で1000円もしない。つりはいらねぇ。突然来やがって焦り急かす私に嫌な顔一つせずこんなに働いてくれたスタッフにチップとして渡そうとした。しかし受け取ってくれなかった。これが私の仕事だと言わんばかりの表情だ。オンリーワンの感謝を伝え、空港へ向かった。12時16分。あと54分。
もはや相棒と化しているタクシーの運転手はしっかりとスタートダッシュを決めてくれた。コーヒー生豆をゲットできた高揚感がすごい。汗が止まらない。同時にフライト時間への焦燥感が募る。この焦燥感を増強させているのは荷物の問題だ。LCC全般にいえるが基本的には荷物は7kg以内だ。これから乗るベトジェットエアも例外ではなく、何なら厳しめのようだ。というわけで私は昨日の時点で荷物枠を購入していた。もともと出国時の荷物が6kgであり、仮に生豆をゲットできなくても諸々のお土産で7kgを超えることが明白だったからだ。じゃあ空港でこの豆の袋だけを預ければいいのか、となるかもしれないがそうはならない。機内持ち込みを7kg以内にしなければならない。おそらく現時点で機内に持ち込むリュックは10kg程度になっている。少なくとも3kg程度は預けなければならない。しかしだ。私の預け荷物の主力は豆の入った袋だ。このままだとバラバラだ。つまりは預け荷物をまとめる袋的なものが必要なのだ。空港で売っているのだろうか。分からない。さすがに調べても出てこない。順調に流れるタクシーの中で私の汗も順調に流れるのであった。やっぱりインドネシアのほうが暑いのかもしれない。
12時57分。あと13分。空港に着いた。インドネシア最後の別れを豪快に済ませ走った。リュックを背負い、枕くらいのサイズの豆の袋を抱きかかえながら走った。思ったよりカウンターを見つけるのに戸惑ってしまい到着から5分程度要してしまった。ギリギリofギリギリだ。まとめる袋的なものの不安はあったが思ったより何とかなった。カウンターで余った段ボールをもらえたのだ。豆の袋に加えてリュックの中から重そうなものを次々と入れていく。パンパンになってしまった段ボールをスタッフと一緒に体重をかけながらテープ固定する。Lost Baggegeになりませんようにと手当たり次第に黒マジックで印をつける。無事に完成だ。ちなみにリュックは6.5kg。ベトジェットエアは搭乗口でも重量検査があるという噂が本当であればこの-0.5kgは天才の所業以外の何物でもない。500mlの飲み物を持ち込めちゃうのだ。これで第一関門はクリアだ。次は出国手続きを済ませないといけない。スタッフに場所を確認して再び走り出す。荷物を預けて身軽になったことにより心地のよいランができている。スマートウォッチをランニングモードにしておけばよかったと少しだけ後悔しくらいのランだ。時間はすでにわからないがもう前に進むしかない。しばらく駆けると出国ゲートらしきところに到着する。地方空港の国内線の保安検査場レベルのコンパクトなエリアだが、表記的にはたぶんここだ。恐る恐る提示したチケットとパスポートで無事に通過できた。第二関門もクリア。ここまで来たらもう大丈夫だ。激動のインドネシア・ジャカルタ旅行のフィナーレだ。旅とは対照的にゆっくりとゆっくりと歩きながら振り返る。現地の人の生き様的なものを見るために訪れたジャカルタ。図らずも見るだけではなくそこに少しだけ交わることができた。この国の親切な人がいなければなしえなかったことばかりだ。ここまでのホスピタリティを経験したのは初めてだ。本当にありがたい。彼らに私から今後何ができるのだろうか。ぜひとも再訪はしたいが、現実的にはしばらくはその機会はない。どうしよう。今のところは何がいいのか分からないがまずは推してみよう。推すかしない。Terima kasih Indonesia. Kamu adalah favoritku mulai sekarang. (ありがとう、インドネシア。君はこれから私の推しです。)ゆっくりと搭乗口へ向かった。
と、ここで終わりたいところだが実はまだ終わらない。終われない。ベトジェットエアはベトナム・ハノイに向かうのだ。ハノイに18時頃に到着して深夜2時に福岡空港に向けて飛び立つ。チケットは通しで発券されており入国の必要はない。冷静に考えれば8時間程度であり空港でゆっくり過ごすのが賢明だろう。しかし、ここまでの行動から分かるように私は賢明な旅は求めていない。そして冷静でもない。どうしよう。例のごとくハノイ情報はまっさらだ。機内でのわずかなオンラインタイムを使って情報収集をする。Google Mapsを開くと真っ先にハノイ旧市街の文字が飛び込んできた。特に歴史に造詣が深いわけではないが無類の旧市街好きだ。よし入国だ。ちらっと公共交通機関の情報も見ると空港からのバスがあって、旧市街を経由して終点がハノイ駅らしい。空港~ハノイ駅で1時間程度。帰りも終バスに乗れば、ざっくり3時間くらいは市内で過ごすことができそうだ。入国しよう。ハノイに向けて出発した。
遅延が多いという噂のベトジェットエアは確かに少し遅延した。遅延の原因は事前情報だとパイロットに時間短縮の意識がないこと、という身も蓋もないことが書いてあった。そんなわけあるかい、なんて思っていたが、定時出発で遅延したのでもしかしたら本当にそうなのかもしれない。というわけでノイバイ国際空港だ。transfer deskやら入国ゲートのあるスペースまで来たが、一抹の不安があった。実は通しのチケットでの途中入国が初めてだからだ。預け荷物もlostされかねない。transfer deskにはアオザイ風の制服を着たベトナム航空のスタッフがいるだけでベトジェットエアのスタッフはいなかった。意を決してベトナム航空のスタッフに入国しても問題ないか聞いてみたところ、彼女はベトジェットエアのチケットを見た瞬間から結構な剣幕で怒ってきた。質問に答えてくれるとかそんなレベルではない。プライベートで利用してけっこうな遅延の経験があるのかもしれない。インドネシアの優しさで感覚が麻痺していた私を容赦なくぶん殴ってくる。うーん海外だ。その後も決心がつかずウロウロしていて再び彼女と目があったときはしっしっしと追い払われた。まあいっか。よく分からないところで踏ん切りがついて結局入国することにした。入国自体は非常にスムーズだった。市内に出る前に一つだけ確認しておこう。荷物の件だ。ジャカルタで預けた際にto FUK的なシールが貼られていたから大丈夫だろうが、念のためにベトジェットエアのカウンターで聞いてみたところ、大丈夫だと即答。質問で激怒されるのが辛いのは当たり前だが、即答もなかなかアレだ。このおおよそ大脳を介してしないと思えるこのスピード感。何が大丈夫なのだろうか。不安でしかない。うーん海外だ。課題は山積みだが、やれることはやったので市内に出ることにした。
市内に出る前に大切なことがある。通信環境と通貨の準備だ。インドネシアではeSIMを利用していたが、やり方が悪いのか2つのデジタルデバイスが必要だったので数時間のためにやるのはやや面倒だ。両替屋と兼ねているところを探し、最も短いプランの物理SIMの購入と両替を済ませた。最後のコーヒー屋のスタッフのおかげで私のインドネシア・ルピアはわずかしかない。かつてのベトナム・ホイアン旅行時の余りと合わせても1000円程度だ。両替屋のお姉さんに「少ないね」とちゃんと言われたが気にしない。バスは往復で540円程度であり、残りで夕食くらいならたぶん何とかなる。早速バスに乗り込んだ。
市街地が近くなると流れは悪くなったが、バスは順調に進んでいるようだ。ジャカルタとは違う街並みにテンションが上がる。そして気が付く。明らかにうるさい。クラクションがけたたましい。以前のホイアン旅行でダナンを通った時にも感じたが、ベトナムという国はカジュアルにクラクションを鳴らす。定期的にリズムよく鳴らす。車、バイクが密集しているため、いますよーの合図として鳴らしているらしい。鳴らし方からすると、いるからな!!!くらいの感じだ。ジャカルタでの左手の偉大さを思い出した。素敵なトランジットタイムだ。時間はかかるし深夜便なんかも平気であるが、こうやって同じ旅で異文化を経験できるのでやめられない。気づけば乗客一人になったバス車内でほくそ笑んだ。
結局ハノイ駅には予定通り、1時間程度で到着した。ほどよく派手にライトアップされたハノイ駅が出迎えてくれる。ジャカルタより湿気は高く感じるがこちらもそう暑くはない。駅前には飲食店が立ち並んでおり、西洋系の観光客が夕食を求めて練り歩く姿が散見された。今日も昼飯抜きでふつうに腹が減っているため彼らに倣って店を探す。そしてここでジャカルタとの違いに気づく。客引きが熱心なのだ。手当たり次第に通行人に声をかけている。ジャカルタでは路上の個人商店の人からじーっと見られてはいたが、声をかけられることは皆無だった。観光客馴れの問題なのだろうか、私の見た目の問題だろうか。そういえば犬も久しぶりに見た。ジャカルタでは犬をほとんど見なかった。アディに聞くと、犬はイスラム教の関係であまり好まれず、飼っていても外に出すことは珍しいらしい。トランジットはお得だ。今後も一人旅ならトランジットであちこち寄ってみよう。
予算がタイトなため悩んだ末に300円くらいのエッグサンドを食べた。悩みすぎて店の人に少しだけ心配された。そのおかげかスマホを充電させてほしいの依頼にも快諾してくれた。空港で充電することができずにこちらも空腹だ。屋外の椅子に腰かけてエッグサンドを食らう。本当に西洋系の観光客が多い。ジャカルタではモスク周辺でしか見かけなかった気がする。そして彼らへの客引きの圧もなかなかだ。充電の関係もありゆっくりと食べていたが、客引きが成功し10人程度の大口の契約が成立したところで店を去った。
まずは駅だ。駅に充電できそうなスペースがあることを到着時に確認していた。なけなしのお金を使って買ったアクエリアスを飲みながら計画を練る。ちなみにアクエリアスは炭酸だった。油断ならないベトナム。充電しながら駅も散策してみる。ハノイはベトナム北部に位置しており、けっこう中国に近い。ハノイから南寧という都市に国際列車が運行しているようだ。島国で育ったせいか、陸路での国境に並々ならぬ思いがある。バスでは経験があるが鉄道は未体験ゾーンだ。駅にあるVIP ROOMと表記のある空間もそういう列車の前に使うのかもしれない。やっぱり駅はおもしろいしもっとゆっくりしたが、気が付けば時刻は21時。そう時間はない。駅を出て歩き出した。
Hanoi Train Streetという気になる記載があったので次はそちらに向かった。ハノイ駅からすぐのところにあり、線路のすぐ脇に店舗が立ち並んでいるストリートが目に飛び込んできた。ランタンなどできれいにライトアップがなされており、夜のほうがフォトジェニックでよさそうだ。駅以上に観光客が多く、列車を間近で見れるだろう沿線の飲食店は盛況だった。いるだけで楽しい。残念ながら列車の発車時刻はほど遠いようだったので、スタンドバイミーごっこだけしてその場を後にした。ここから旧市街に向かう。旧市街もそう遠くない。駅からカウントしても2kmちょっとだ。まだまだブースト継続中の私にはなんてことのない距離だ。心地の良い汗をかきながら歩みを進めた。
旧市街に入った。境界は分からないがなんとなく古そうな建物やヨーロッパ風の建物が目立ち始める。ナイトマーケットなんかもやっている。ここからは地図はいらない。私は熱に浮かされたように歩き続けた。非常によい。境界がわからないゆえに気が付けば旧市街を出て湖畔(ホアンキエム湖)らしきところを歩いていた。随分と地元民らしき人が増えている。ぴかぴかと派手に点滅する乗り物のおもちゃで子どもたちが遊んでいる。若者がわーわーと大きな声ではしゃいでいる。エネルギーに満ち溢れた街だ。もっともっとこの街を見たくて私は身体と時間の許す限り歩き続けた。
結局4kmくらい歩いていた。ちゃんと疲れた。ようやくブーストが切れてきたのかもしれない。無事に疲れる身体に安心する。確か最終のバスは22時30分くらいだったはずだ。少し早いが安全を期して乗り場に向かおう。そう思いながらポケットを探ると違和感に気づく。ない。ないのだ。大事なものがなくなっている。財布だ。財布をなくしたかもしれない。8割くらい使っている右ポケットにもないし左ポケットにもない。もちろん後ろのポケットなどにはあろうはずがない。海外で財布をポケットに入れている時点で客観的には問題があるが、私のお財布の事情をここで詳らかにしておく。
私は財布を頻繁になくす。年1回は平気でなくす。あまりにカジュアルになくすのでここ最近は国内で平常時から財布は持ち歩かないことにしている。緊急用にスマホケースに1000円札1枚と少量の硬貨を入れたジップロックを携行しており、それでほとんど困ることはなかった。今回のジャカルタ旅行では以前から使っていた海外旅行用の財布(クレジットカード2枚+外貨用)をスタメンに加えていた。ビザを出発直前まで先延ばししていたため、例のジップロックもメンバー入りしていた。にぎやかに出発する予定だったが、出発直前にビザをプリントアウトするために寄ったコンビニでジップロックをなくしていた。多分落としてはしない。おそらくあのコンビニに忘れてきたのだ。平気で物をなくすくせのなくし方に関しては妙な自信がある。この手の人間の特徴かもしれない。これまでになくした場所ランキングもソラでベスト3くらい言えるが今回は割愛する。というわけで実は出発前にも財布的なものをなくしていたのだ。いつものことだと割り切ったが、割り切りすぎた結果、性懲りもなく今回もなくしてしまった。以上が私のお財布の事情だ。
話をハノイに戻す。いつなくなったのだろう。けっこう人混みを通ったし盗まれたに違いない。まいった。手持ちの武器を確認する。充電が心もとないがスマホはある。Google Payでタッチ決済はできるだろうが、どうもこのあたりのタクシーでは使用できないようだ。スマホケースには交通系ICのSUGOCAと緊急用の1000円札。SUGOCAのカエルと野口英世が憎たらしい。しかし彼らに罪はない。それどころか日本国内では抜群の威力を発揮する。ここは休んでいてもらおう。となると私の武器単体では太刀打ちできない。人だ。頼りっぱなしだがここはもう人に頼るしかない。近くにある店に入ってみた。
店のドアを押した。なんか滑りがよすぎてめちゃくちゃ押してしまった。ドアが割れんばかりの音を立てた。中はクラブ風の店だ。この突然の暴漢の乱入にスタッフは完全にビビっている。まずい最悪の入店だ。しどろもどろに現況を説明する。日本人で深夜のフライトで帰国予定だが財布をなくしてしまい空港に行くことができないと。最初は緊張感を持って注視されていたが、こちらの様子を見るうちに話を聞いて検討してくれそうな雰囲気になった。最初こそやらかしたが、いかんせん見た目の威圧感が皆無だ。引き気味だがなんとか話を聞いてもらえそうな雰囲気になった。えらいもんで話をしてそれを聞いてもらえるだけでも少しは冷静になれる。しかし、こうして話をしていくうちに分かったことが事実で再び崩壊する。それは終バスがとっくに終わっていることだ。どうやらサイトを斜め読みしていて勘違いしていたらしい(実際に今調べても終バスはもっと早いという情報しかない)。実はこの期に及んで、バス代(270円)くらいなら1000円札と交換できるのではないかと淡く期待していたのだ。帰れない。これは無理だ。少なくとも今夜のフライトには乗れっこない。翌日のフライトを取り直したうえでヒッチハイク的なことで空港に行くことができればいいほうか、しかしそれもうまくいく保証なんてない、私は絶望の淵に立たされた。
絶望の中、私は完全に落ち着きをなくす。リュック、服についているありとあらゆるスペースをまさぐる。ズボンの右ポケットをこれでもかってくらいほじくり回していたそのときだ。何やらプラスティック製の平べったいものが右手に触れた。カードだ。乱暴に取り出す。デジットカードのRevoultカードだ。奇跡的にカードが1枚、財布とは別に納まっていたのだ。海外で財布をズボンのポケットに入れて持ち歩いたうえに、財布に入れるはずのカードを裸でポケットに入れていたのだ。ズボラが幸いした。ズボラだからなせるリスクヘッジだ。ズボラでなければそもそもこんなことにはなっていないってことは否めないが。今度こそ私のお財布事情を詳らかにしていく。
結果として週に2回も財布的なものをなくした。にも関わらずカードは1枚生きていて、現金の被害総額が1000円程度、ハノイで購入したSIMカードと入れ替えていた普段使いのSIMカードも財布に入れていたのでその再発行手数料の3300円くらいだ(よくわからないが、なくしたカードの再発行手数料はかかっていない)。財布的なものを2回なくしても被害総額5000円以下だ。ジャカルタの交通系ICカードという思い出の品もなくしてしまったがしょうがない。この程度で済めば運がいいほうだ。私はなんて運がいいのだろうか。いろいろ間違っているかもしれないが、こんなときでも運がいいと思っていたほうが人生の幸福度は上がる気がする。以上。
転々しているが再びハノイに戻る。この奇行の一部始終を見ていたスタッフは近くのATMを案内してくれた。そしてアプリでタクシーを呼んでくれて待ち時間に水を恵んでくれた。問題が解決し余裕が出てきた私は調子に乗って、「パスポートはちゃんとあるだろうか、パスポートまでなくしたら本当に帰国できないからな」と渾身のジョークを披露したがびっくりするくらいスベった。気まずい思いをしているところにタクシーが到着した。その場でベトナム語のありがとうを教えてもらい、Cảm ơnと伝える。そーっとドアを閉めて彼らと別れ、空気の読めるタクシーに乗り込んだ。
タクシーの運転手は若めの男性だ。ハノイも若い人が多い。インドネシアほどではないが平均年齢は33.9歳らしく納得の数字だ。彼はほとんど英語が話せなかった。簡単な会話もできなかったため、ほとんどGoogle翻訳を使った。Google翻訳は音声での入出力ができる。それぞれのしゃべった言葉が無機質な音声に翻訳される。同時通訳とまではいかないがこのレベルでは全くコミュニケーションに困らない。「日本の女の子が大好きだから紹介してほしい」と信号で止まるたびにだらしない表情で伝えてくるのには辟易したが。実は空気も英語も読めないらしい。この旅でGoogleとはいろいろあったが、やっぱりすごいし今後も良好な関係を保ちたい。願わくばジャカルタでの精度の改善と標語の””Don’t be evil”に””Don’t be ero”を追加してほしい。
会話の内容はさておきスムーズに空港には着いた。午前2時のフライトに対して午後11時30分の到着だ。大人らしい余裕を持った空港への移動といえる。さらに大人を究めた私はPriority Pass対応のラウンジに行き、熱めのシャワーを浴びた。時間をかけてゆっくり食事、アルコールを摂取し、搭乗口に向かった。さあ帰国だ。ベトジェットエアはガンガンに冷房を効かせて私を出迎えてくれた。この手のLCCあるあるだが失念していた。Tシャツ、短パンの私は亀のように腕を服の中に折り畳み身体を抱きかかえるように機内で少しだけ眠った。「大人」になるにはまだまだ足りないようだ。
目的地の福岡空港にはほぼ定刻通りの到着だった。機内で遭難しかけたがなんとか生きている。あっさりすぎて寂しさすら感じる入国審査を終え、手荷物受取所に向かう。ジャカルタでバタバタとパッキングし黒マジックで乱雑に印をつけたあの段ボールは無事に福岡まで来ているのだろうか。ベトナムに入国した主を追いかけて、財布とともに待っているのではなかろうか。不安を抱えながら流れる荷物を眺める。lostが頭をよぎりながらしばらく待っていると来た。感動の再会だ。両手でしっかりと抱きかかえた。最後は植物検疫だ。実はここはほとんど不安がない。万全の準備をしてきたのである。自分では完全にコントロールできないものに対してちゃんと準備するのである。以下、準備について詳述する。
まずは門司植物検疫所に確認してインドネシアからの生豆が土など付着していなければ問題ないことを聞いていた。ただ、今回はベトナムを経由する必要があるため、ベトナム→日本も確認したがこちらも特に問題ないようだった。インドネシア→ベトナムの確認がやや難渋した。海外to海外のフライトで日本人が激減するように、この手の情報は一気に少なくなる。門司植物検疫の職員のアドバイスで在ベトナム日本国大使館に問い合わせてみた。ただここが全然電話が繋がらない。ベトナム大使館 電話 つながらないとGoogleのサジェストで出るくらいには繋がらない。悩んだ挙句、在福岡ベトナム総領事館に電話をしたところすぐに繋がった。最初に電話した男性に要件を伝えると、「大丈夫ですよー」とあっさり解決。確認待ちが発生すると思っていたがそれすらいらなかった。在福岡ベトナム総領事館様、ありがとうございました。というわけで私は自信を持って植物検疫に臨んだのである。
予習が幸いし植物検疫は何の問題なく通過できた。15kgほどの愛くるしい段ボールを抱え、無事に到着ゲートをくぐり抜けた。勝手知ったる日本ではもうそんなに事件は起きない。お盆の渋滞に巻き込まれるも静かな道路を走行する高速バスに揺られ自宅へと向かった。ジャカルタだけなくハノイでもいろいろあった。一時は帰国も危ぶまれたが幸運の女神は私に微笑んでくれた。まだまだ行きたいところはたくさんあるので、次にこれらの土地に行くのは先になるだろうが今から本当に楽しみでしかない。そのときのためにもっともっと面白い人間になって、もっともっと面白い経験をしよう。いよいよ旅の終わりだ。凍える不安のないバスで久しぶりの眠りについた。
2024年8月にインドネシア・ジャカルタ、ベトナム・ハノイを訪れた。ここで経験したことを知り合いに話す程度にしていたが、私の敬愛するPodcast「超旅ラジオ」およびそのオンラインコミュニティ「ロスト・バゲージ・クラブ」でエピソードを紹介したところ思ったより好評いただいた。特に財布のくだりは自分の当たり前が他人の当たり前ではないことを痛感した。というわけで帰国から約2か月が経過した10月中旬から執筆を開始した。当初は旅行記と捉えていたが、当時の感情も織り込んでいったところ思ったより長い文章になったため今では紀行文と呼んでいる。感情はvividに刻まれているが、2か月もたつと詳細な行動の前後関係はときおり怪しかった。そのときはGoogle Mapsのタイムラインが大いに役に立った。作中で触れたように旅の中ではけっこうGoogleを始めとするテクノロジーに依存した。現代人にとっては必要不可欠となったこれらのモノは旅だからといって無理やり離れるべきものではない。前述の「超旅ラジオ」のパーソナリティである岡田悠氏は自身のnoteにおいて、「バグに旅情を覚える」と述べている。バクとまでいえないかもしれないが、ジャカルタで書店がなかなか見つからなかったときにはそれはそれで旅情を覚えた。今後も日常生活でも旅でも全力でテクノロジーの進化を受け入れていき、そこから生まれる何かを楽しんでいきたい。
帰国後しばらくして再発行したSIMカードが届いた。早速挿入すると、ベトナム語のメッセージが届いているのを確認できた。インドネシアで登録を試みたライドシェア系のメッセージは届いていなかった。今もどこかをさまよっているのだろうか。悪いことをした。クレジットカードの再発行は滞りなく完了した。カード番号が変わったのでサブスク系の手続きがやや面倒だったが、新しくなってタッチ決済が搭載された。トータルではややプラスの気分だ。出発前になくしたジップロックは新調した。というか外貨をストックしていたものを代用した。そのため今もジップロックにはマカオと書いてある。マカオジップロックは現時点ではなくしていない。
戦利品はなかなか活躍してくれている。コーヒー生豆は予告通り、おっちゃんに焙煎してもらった。焙煎は一気にせず、残りの生豆はおっちゃんの店で保管してもらい、焙煎の度合いを変えてもらいながら楽しんでいる。苦労したし別の豆かつ間接的だが生産者と関わることができたというストーリーも合わさってよりおいしく感じる。ちびちび飲んでいるがなかなか減らないため、友人に対してはコーヒー豆配りおじさんと化している。生産者の方とはインスタグラムでやり取りができるので、購入して自分で焙煎をしてみるのも楽しいかもしれない。絵本は想定通り文字がなく、絵からなんとなく内容を推察できるタイプで子供が気合を入れたくらいでは破れない素材でできている。絵本の本棚にいいアクセントを加えてくれている。バスのおもちゃはなんとプルバック型であり動かして楽しめるタイプだった。ようやく1歳になった次男が口に含むおもちゃとしても貢献してくれている。即戦力として大活躍中だ。また、以前と比較して明らかにインドネシアの情報を追うようになった。その結果、Google Discoverではインドネシアのニュースを積極的に出すようになった。何かできているわけではないがインドネシア推しであることには間違いない。11月15日にはワールドカップアジア最終戦予選でのインドネシア代表との試合がある。代表戦すら普段は見ないが、この試合はチェックしてみよう。
旅の帰り、お世話になった人に何ができるのかずっと考えていた。アディとは帰国後に登録したWhatsAppで友達になった。日本のことで分からないことがあればいつでも聞いてくださいと伝えている。その他の人々には何をしよう。路上で会った人にはさすがに直接は何もできないが、店であった人にはできる。最初はメールでも送ろうと思ったが、それは少し自己満感がある。そこで思い至った。Googleだ。Googleに口コミしよう。どの店もGoogleに掲載されており、星の数の評価もされている。そこで高評価をすれば少なくともマイナスにはならないだろう。インドネシア、ベトナムで関わったお店を改めて検索しレビューを残した。日本語で記入したがなんとなく翻訳しそうな文章になるように心がけた。数日後にはお店の人かわからないが、goodボタンが押された。ずっと離れた日本にいるが、こうやってテクノロジーのおかげで彼らとまだ繋がることができる。いい時代。そしてもう一つ彼らとのつながりを感じるものがある。MyBluebird、インドネシアのタクシーアプリだ。なんとなく消さないでいてそれが旅の残り香としてスマホ内を漂っている。アプリからの通知をオフにしていないので1日に複数回通知も来る。「Janijian lunch di mall?」「Pasti cocok buat kamu」意味はあんまり分からない。ただ、通知のたびに少しだけインドネシアを思い出させてくれる。あの半分以上が優しさでできているだろうインドネシアのことを。私はいつまでもインドネシアと繋がっている。Terima kasih Indonesia. Kamu adalah favoritku mulai sekarang.