私は私であり それだけで唯一であり かといって特別になる必要もなく それでいて 私でしかない ということに ようやくたどり着けてきたような 気もしてる 中学生の頃は 世界征服とうそぶき その後も絵本作家や 巨匠になる と夢見て そして素晴らしい人々に出会えば いつか自分も たくさんの人の 心を動かす仕事が できるのでは、 と憧れて あせったり も した もう10年くらいになろうか 自分の周りの3人を 幸せにする という なかなかいい着眼点に気づき まずは浮いて
来世はラクダになってみたい とは思ってる割に 前世のことなんて 考えたことなかった おしゃべりしてて 「自分は前世 農家の娘だったと思う」 という人がいて 前世、というものへの意識が 私にはなかったことに気づき、 前世について どう捉えてるのか ヒアリングしながら 自分のことを考えてた 宗教も 思想も 前世も守護霊も 手相も占いも みんな、自分が信じるものを 信じればよくて、 私に対して無理強いしてくることさえなければ、 わたしは、彼や彼女が信じていることは 真実だと
facebookに続き instagramもやめて すっきり どちらも楽しく利用し 依存と時間泥棒がかすめはじめて やめた 自分の時間は限られる 自分の意思はそんなに強くない それだけはわかっているから 自分の時間を 自分の制御よりも うっかり使い始めたら 危険サイン。 facebookのときは 人の情報が入りすぎて 毎日会うこともない、 たくさんの友だちや知り合いの 会わなければ知ることもない、 たくさんの情報に 心がザワザワしてしまって 全然よくない。 と気づい
わかった わかってる しってる 危険思想。 全部に例外がある。 でも、統計をとりながら、 こんな傾向があるな、 と捉えなければ、 生きるのは難しいから、 わかってたり、 知ってたりすることは とっても大事なんだけど、 だからって 正解をわかってるって してるって 思っちゃダメで、 そう、それは、 主に私の日々についての話。 日々むきあうこどもたち。 みんなちがう 時代も違う 家族構成も 環境も違う。 でも、確かに傾向はあって その傾向を踏まえた上で より良い対話
造形絵画のみずこし先生、 絵画教室のふみ先生、 造形遊びのせんせい おかあさんのともだちのふみちゃん それぞれの空間や それぞれの関係で、 呼び名が違うのだけど なんでもよくて。 今ここにいる わたしの造形の先生の感覚、 自宅でやってる教室という空間に 導いてくれたのは 今まで出会ってきた たくさんの 愛しきこどもたち。 造形の先生は私の天職だ、と 気づいてから 10年は経ったと思うけど、 そこから、 アトリエかめれおん という教室は 貸し教室をこえ、 グループをこえ、
私が向き合う仕事 造形の先生 という仕事を振り返って 今、大切だったと思えること そしてこれからも 大切にしていきたい と思うこと それは 当事者じゃない という立ち位置。 当事者がいい悪いではなくて。 どこにも属さず、 第三者で、 いつでも 何にでも 距離を置くことができ、 時間をとることができる そういう位置に 気づいたらいたし、 気づいてからは それを大事にしてる。 当事者だからこその力もある。 だからこそ、 当事者じゃないからこその 力もある。 具体的
空いてる電車 上野から 二宮へ まだ東京都内でも すいてる車内は 東京じゃないみたい 本を読んで うとうとしていたら 隣のボックス席から 鼻歌 おじさんの 壁越しに聞こえる鼻歌 その 気持ちの良さ モンゴルかしら 悠久の 音階 きっと 空いてる車内は プライベートスペースが 保たれてるんだわ ヘッドホンから漏れる ガチャガチャ音は すごく苦手だけど 幸せな音は いいな 密度が高すぎてしまうのは きっと よくないのだね 歌っても 食べても しゃべっても き
昨日読んだのは犬のガクの話 とりあえず置いといて、 ここまでくるのの1番最初も、 やっぱり 犬だった。 たどる、たどる 犬を飼ってから、 犬の本をよく読む。 いろんな人の犬の見方や接し方を知ったら、 その犬の反応から、 犬がどんな風に人間といるのか、 飼い主の思い込みもあることを 踏まえた上でも、 色んな人と色んな犬の関係、 知りたいな、と思って しつけの本もエッセイも いっぱい読んでて、 (しつけの本は犬がどう反応してるのか というのを学ぶために読む 正解だとは思わず
成功するのは気持ちよくて 成功することをめざして 生きているのかもしれない のだけど ほんとのところは 失敗することが 日々で 失敗を重ねた先に 成功があるのだとも 思う がっくりくるような失敗は ほんのたまに、でいいし やっほーい!やったーい! という成功も ほんのたまにでよくて あ、やった。 っていう 小さな成功を重ねて それと共に あ、やっちた。 っていう 小さな失敗を 重ねることも きっと とっても大事 こどもたちといるときに 大切にしてることは 「できた!
みんなちがうよ みんながちがうみたいに みんな ちがう みんながみんなであるように みんな おなじで ちがう 言葉は使ったり 使わなかったりする 言ってることは 大抵わかってる わかってる けど 言ってること わかるからこそ わからないときって あるじゃない? 納得いかない 理解できない! ってこと 空気をよむことはしないから (これはわたしにとっては長所) 自分の感覚で 納得できないことを 受け入れるには 「みんなそうだから」 なんて わけのわからない理由じゃ
20代の真ん中くらいまで 白黒はっきりすることが 正義だと思っていた。 し、 それがエネルギーでもあったような 気もしてる。 生きたり、作ったり、考えたり 乗り越えたりする エネルギー。 でもいろんなところに 矛盾が生じてきて 最初は見て見ぬふりを決め込んで 白と、黒と、 好きと、嫌いと、 正義と、悪だと 思ってた。 それでも 好きでも嫌いでもなく 正義は悪だったり 絵の具の黒は 黒じゃなかったり 見て見ぬふりが できなくなってきて 立ち止まって 考えた。 矛盾のな
ひとをコントロール はできない ということが 本当に わかっていただろうか コントロールを する コントロールを される という言葉はあれど 言葉があるから コントロールができると うっかり思い込んでしまうのかもしれない コントロールなんて できない とわかっているようで それでもどこかで コントロールしようとしてたり してたんじゃないかって ふと 思ったり。 対人関係で、 どうしたらわかってもらえるだろうか どんな言葉で、声で、タイミングで、 と知恵を絞るこ
本を読みたい 読みたい本がいっぱい きっと 読み切れない 生まれ変わって ラクダになれたら 本よめないしな。 本をもっと読むために どうしようか と考えて やりたい仕事、 仕事はやりたい。 カワイイ犬たち 犬とは遊びたい 大切な家族 一緒に食べる時間 話す時間は 大事にしたい そうするとなると あと、 どこを読書に当てられるか。 古本で もう売れない(寄付できない) 本は 風呂場で読む。 そして やっぱり ネットからの脱却。 facebookは やめた 情
目標を、もつこと は本当に正解なんだろうか いいこともある。 いいことしかない。 わけではなくて、きっと、 悪い面や、向いてない場合もある のではないだろうか。 年末になり、 年始がくるこのタイミング。 来年はどんな年に、と 抱負を考える時期でもあるのだけど、 そういえば、ここ数年、 抱負、ねぇ、、、 と考え始めて ちがうこと考えて終わってることに、 さっき気づいて。 目標って、なんだろうか。 きっと、がんばるひとには 必要なんだろうな。 わたしは、がんばること自体が
私は生後2ヶ月から 保育園にいたって。 共働き夫婦の 3人目の私は 母はいつも産んだだけ、と笑う。 私は産まれる時ほどの がんばりを した記憶がないくらい 産まれることと 産むことは すごいと思ってるのに 産んだだけど言える 母。 その言葉には 育ててくれた たくさんの人々への感謝がある。 保育園の保育士さんたちは 私をかわいがり 育ててくれた 母と父は 仕事をし、 家に帰れば 私たちきょうだいを 愛情を持って (もちろんたくさん怒られながら) (たいていはきょうだ
遠藤周作の「海と毒薬」を読んだ。 彼の原作、「沈黙」が映画化された時、 告知動画をみて、 みたいけど、みれない みるべきだけど、みれない そう感じた。 そう感じる作品も現実世界も たくさんある、 けど、どうしよう。 と考えて、 随分長い間、 そのままだったのを思い出した。 私が私の価値判断で 知るべきこと、 知りたいことが たくさんあるのだけど、 映画館から、 家に帰るまで、 家に帰っても、 ずっと泣いてた経験があって、 私にとって、映像は 現実に近くて 目の前で起きてる