元気だけれども
最愛のひとを亡くしたら、しばらくの間、残された者は毎日泣きくれていると思いますか?そんなことはありません。お通夜と葬儀の準備は決めることが沢山あってとんでもなく大変で、お返しもしなくてはならないし。けれども、一番大変で面倒なのはお金に関する事務手続きです。
私の場合は、まず役所に行き相続関係に必要な公的書類を取り寄せ、銀行のカードや通帳を探し、各種明細を発掘してクレジットカードの支払いをストップさせ、サブスクで注文しているものを全て探し出して電話をかけてキャンセルし、各種保険事務所や年金事務所に電話して手続きの準備を開始し、お寺と四十九日法要の日程調整して家族に連絡し、支払いが滞っている請求は確認して期限内に支払わなくてないけないし・・・
全く悲しんでなんかいられない事務手続きに忙殺されていたら、なんとなく悲しみが薄れた気がして。いやいや、本当はまだ本格的に悲しむ体勢になってはいなかったんだと思います。つまり、日々の生活に自分自身を追い込んで、夫の死にちゃんと向き合ってはいなかったのではないかと。
そして、ふとした時に「もう、いないんだ〜」となるんですよね。
夫も私も、そして家族全員、鰻が大好物なので、お誕生日の食事会とかハレのイベントはもちろん、季節の変わり目とか元気をもらいたい時とか、鰻を食べに行くことはとても贅沢だけれども必要不可欠な儀式でした。
そして、我が家の界隈は名店と呼ばれる鰻屋さんがいくつもあるので、夫と再婚して以来お気に入りのお店は何度も通ったので、一人になって、鰻屋さんに夫といけなくなったことはかなりショックでした。
先日、築地方面に用があって行った帰り道、いつも行っていたお店の前を通りかかると、例のなんとも美味しそうな香りが漂って来ました。一旦は通り過ぎたのですが、一人で入ることに。開店と同時くらいだったのに店内は満席で、待たされましたが、よく夫と座って食べた4人がけの窓に面した席に案内されました。
ああ、いつもだったらここでビールをまず1本飲んで、白焼をいただき、次にお銚子を頼んでとなるところでしたが、一人なので鰻重だけ。
ふわ〜といい香りと共に出されたら、不覚にも涙が出てきてしまいました。夫も無念だろうなあ〜、亡くなる直前も食べに行こうって話していたのになあ〜と、鰻を前に次々と沸き起こる感情に、戸惑ってしまいました。
お会計時、お帳場で「いつも夫と一緒に来ていたんですが、この4月に亡くなってしまい、一人でお店に入るのを躊躇していたんですけど、やはりどうしても食べたくなって来てしまいました」と言うと、「お一人でも、いつでもお越しください」と優しくおっしゃってくださり、また泣きそうになってしまいました。
ずっと元気にしていた私でしたが、大好物の鰻を前にして一気に悲しみに襲われました。食いしん坊夫婦ならではの思い出いっぱいの食べ物だったからですね。