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ダンス劇の作り方

2025.1.29-2.2に代田橋にあるCHUBBYというギャラリーであり、BARであり、空間である場所で「in/wakehedate」というタイトルの新作ダンス劇を上演した。その5日間は、訪れる人々がCHUBBYという空間でそれぞれの時間を過ごす中にパフォーマンスが存在する理想的な日々だった。
10年以上「ダンス劇」を創る作業をしてきて、やっと見つかった事が感覚があり、これまでの積み上げた創作哲学と共に書いてみました。創作に興味のある方、実際に作品を観てダンス劇に興味をもって下さった方、メイキング好きな方に楽しんで頂けたら嬉しいです。


ダンス劇とは

いっけんダンスに見えない所作にダンスを見出し、何気ない瞬間に劇的なドラマを感じる感性を刺激するパフォーマンスであり、劇場だけではなく様々な場所に存在する事が叶うスタイルで創作される。暮らしの景色に溶け込む踊りのある風景を広める事がダンス劇の魅力であり可能性であると感じています。
ダンス劇とはジャンルではなく、形を変える大きな箱、もしくは仕掛けのようなものであり、お客様は目の前で行われる事に対して頭の片隅にある「ダンス劇」というワードから、ダンスや劇的瞬間をそれぞれが探し、感じて頂く。それぞれが探す事を楽しんで頂けるか、「わからない」というストレスを感じさせてしまうかのさじ加減には、細部に気配りをしながら創作を進める事が大切だ。

キャスティング

今回のキャストである、池上楓子、山田暁、田花遥の3名にそれぞれ出演依頼を行ったのは、昨年の8月末頃だった。
CHUBBYの20周年yearのスタートを切らせて頂けるという嬉しい機会を頂き、飛び切り自由でキュートなダンス劇を起こそうと決めてから、常にぐるぐると誰と創るかを考えていたように思う。

池上楓子とはこの数年いくつかの作品を創り、振付の現場などにもアシスタントとして参加するなど、僕のダンス劇に理解と興味をふかめている人物であり今回の自由な発想の為にぜひとお願いした。
しかし僕自身のダンス劇論が常に動き続けるので、彼女曰く「自分の事のように理解する事はない。」という事は確かにそうであり、理解できない事だという事を理解している事が最大の理解であると僕は感じている。

田花遥は、以前から僕のダンス劇を観客として観てくれていたり、WORKSHOPに参加してくれたりと、長く知ってはいたのだが、今回ぐるぐると思考している日々の中で観た彼女のソロ作品の配信映像が、僕の背中を押してくれた。
しっかりとしたビジョンと、確かな技術は存在しているが、そこからはみ出るコメディエンヌな空気がダンス劇だと思った。

山田暁は何度か会った事はあり、踊っている姿も見ていて「運動能力の高い、ピースフルボーイ」だと認識していた。あるダンスフェスに参加した際に、彼はソロ作品をパフォーマンスしており、それももちろん素敵だったのだが、その打ち上げで共にビールを飲みながら「くまさんもっと話ましょうよ!」といって笑顔でやたらと僕の肩をぽんぽん叩いてくれて、あ。年上に気を遣いすぎない感じがいいな。と思った。
肩を叩かれたから出演依頼をしたわけではないが、わりと大切なポイントである。

3人に共通して言えるのは、わからない事への不安を積極的に楽しめるという事である。
僕はリハーサル中によく、「なんあかさぁ、こっちの方がお洒落でしょ?」
と言う。本当にお洒落かはさておき、創作の中での価値観を、とても曖昧で、かつ明確な好き嫌いによって組み上げていく過程がある。そこで「え?わからない!」をストレスに感じてしまうと、身体が動かなくなりそのストレスは直接お客様のストレスへと繋がる。なのでまず楽しんでもらう事はとても大切な事である。山田暁はリハーサルで僕が何かを話すとすぐに「おす、おす、おす、おす。」と、とてつもない速度で一度了解してしまう男である。

タイトル「in/wakehedate」

キャストにお声掛けする前に、タイトルはふわっと決まっていたように思う。
Individual(個人)という言葉の語源についての記事を偶然読んだ事がきっかけで、現在の自分が何を感じて生きているかや、ダンス劇の理想の姿などがスッと集結して「ワケヘダテ」という言葉になった。
記事によると、Individualとは否定の接頭辞「in」に、分けるを意味する「Divide」が変化させられIndividual。つまりもうこれ以上分ける事の出来ないものをIndividualと呼び、我々はそれを個人だと訳し認識しているという。

しかし我々は本当に自分(個人)を分ける事が出来ないのだろうか?
という事であった。
記事は欧米の方々との宗教観にも触れて。神が人格化され、その神と一対一で付き合う彼らにとって、神の前の自分と家族や友人といる自分をワケヘダテする事は出来ないという考えのもと「individual」が成立しているという。いっぽう僕らは、思った事をなんでも話し合える人そうでない人。ここではこの話題は避けよう、これは黙っておこう等をとても器用に使いこなす(欧米の方ももちろんそのような場合もあるが)事をよしとする気質が確かに存在する。
では、逆に自分とはかけ離れているように思う事柄や、時間や、人物が実は自分と地続きに存在している場合もあるだろう。
ワケヘダテ出来ないという事を観念すると、とても辛いけどとても楽ちん。
そしてピースフルな景色が見えそうだ。
という事で「in/wakehedate」。

そんな話をフライヤーでマトリョシカに描画してくれた友人の画家/多田さやかに話した結果、一つのようで一つでなく、ダンスじゃないのに踊って見えそうなマトリョーシカに行き着き、真っ白なマトリョーシカに絵を描いてくれたものを撮影して、フライヤーとなった。
お気に入りだ。

マトリョーシカ描画/多田さやか         フライヤーデザイン/熊谷拓明

リハーサルが始まる

11.28初めてのリハーサルの日。
16:00-21:00の5時間のスケジュールが組まれていた。僕のリハーサルはたいていこの5時間枠で組まれる事が多く、本番までに15回ほどのリハーサルで創作していく。このペースが多いのか、少ないのかはそれぞれの価値観ではあるが、僕はこれがベストだと思っている。この理由はきっと後半に述べます。

話をリハーサル初日に戻す。
今回のメンバーはそれぞれの面識はあり、
田花、山田は数カ月前に共演もしている事もあり、余分な緊張はなく。それでも初日の探り合いな雰囲気はあるが、30分ほど談笑しながら各自のウォームアップを済ませると、
早速冒頭のシーンから振付を始めた。
リハーサルの前に作家として行う作業は、
メンバーを決めて、タイトルを決めて、
フライヤーデザインまで出来てしまったので、あとはin/wakekedateという言葉と共に生活するのみだ。リサーチなるものは一切なく、生きていて思う事、感じる事を特にメモを取るでもなく、心に積み立ててリハーサルにのぞむ。
冒頭のシーンも、自分を含めた4人が立ち上がってゆったりと集合した瞬間までアイディアは1つもない。が、その空気が僕のその時までの時間と結び付くように形を成すのが見える。気がする。
その形に従い僕が暁くんの左肩にオデコを埋めてみた。戸惑う暁くんと、戸惑う暇もない田花さん、この空気に慣れているのかニヤける楓子。この状況が生まれたらもう大丈夫。
そのそれぞれの心境を壊さずに、視覚的には観客に寄り添った動きの配置を行う。

4人の身体が集まった事で人間関係の機微が視覚的には見辛くなる。だから僕がオデコを当てた瞬間に田花さんと楓子は身体を反らせよう。
でも4人の空気感をまだ感じて欲しいからたまに身体を戻そう。そうすると暁くんと目が合うので、それを避けるようにまた身体をそれぞれが反らす。戸惑いながら2人と目を合わせようとする暁くんの表情から、自分1人だけがワケヘダテられている不安のようなものが見えて「お洒落」である。

このままでは観客へ「誰かが仲間外れにされている」と捉えられる絵が続くので、僕はわりと元気ですよ。とばかりに観客に歩み寄りヘラヘラしてもらおう。
3人になった熊谷、田花、池上は暁くんを1人にしてしまった責任を目配せで互いに押し付ける。そんな気配を感じて暁くんが振り向くと、僕はそんな全てを楓子に押し付ける為、彼女の両頬を片手で掴む。
抵抗しない楓子に驚き、田花さんは思わず僕の手を払い除けて僕の胸ぐらを掴む。
胸ぐらを掴まなさそうな田花さんが、そうすることは実に不快感がなく面白い。

photo 軽部将大

しかし田花さんはいとも簡単に僕に抱きかかえられ、運ばれる。
当の楓子は全くお構いなく、気楽な犬のソロ散歩のように何処かへいく。
「なんなのこれ?」と観客が思う頃に、暁くんに観客の声を代弁してもらうかのようなジェスチャーを付ける。

photo 軽部将大

のように、語りだせば全てを語ってしまえるくらいに、必然的にいわゆる「振付」が決まっていく。僕はこれらの動きをしっかりと覚える事より、自身の心の動きをしっかりと身体で記憶していく事をキャストに求めている。
初日の5時間は、このあと田花さんと暁くんのデュオの振付に入った。
これは冒頭のシーンからの流れで、2人のシーンに入れそうだった事と、この2人に踊ってもらうことは僕の中で決まっていた。初めてのリハーサル、初めてのダンス劇である田花さんと、暁くんが、僕や楓子と踊ると「慣れてる人と、初めての自分。」のようか感情が芽生えそうだと思ったからだ。
僕を含めて、毎回その作品は初めての経験であるから、極力普通の関係でリハーサルを進めたい。
僕が創るデュオに少し身体を戸惑わせながらも、真摯に取り組む2人に楓子が程よい距離でアドバイスを行う理想の空気の中、初日が終わった。

シマウマの出番

3回目のリハーサルを数日後に控えたある朝、我が家の玄関に座らせていたシマウマの人形が目に入った。5人目の出演が急遽決まり、次のリハーサルから参加してもらう事にした。
特に特別な意味を持たなくとも、後でなんらかの意味を持つものだ。だから山田、田花、池上が肩を寄せ合いシマウマを動かすと、3人の身体がとっても愉快に動き始めたが、愉快な身体が現れるとそこに難しい意味なんていらない、心のおもむくままに動きを創る。
この頃になると3人の察する力もぐんぐん上り、僕が想像するよりもさらに面白いものになっていく。が。たいていやっている本人達はわからないのだ。面白いのか、どうなのかわからない。だから僕の仕事としては、これがどんなに面白くて、どんなにこの先の希望が見えるシーンになっているのかを熱く伝える。そしてそんなシーンを生んでいるキャストへ感謝を伝える。映像を見返して、なんども細かなニュアンスの修正をする中で、「あ。もしかして面白いかも。」という反応がそれぞれから感じられるようになると、僕も少しホッとする。
作品を進めれば進めるほど、この作品独自の面白みが出てくるが、僕以外のキャストの不安をゆっくりと感じられるようになり、その都度僕が面白さを語る。これを繰り返すうちに、楓子あたりが今作品の面白さに気が付き始めて、身体の調子が良くなる。もちろんそうじゃない日も来る…創作も人生も常に良い時ばかりではないと言う事だ。
暁くん、田花さんもそれぞれ初めて僕の作品に参加する上での多少の気遣いがあるとみえ、それぞれの波が見えづらいが、確実に波打つタイミングはあり、そこを見逃したくないので僕はとにかく自分に波を立てない努力が大切。
作者の波に流されるキャストより、キャストの波が穏やかに作品を運んで行く事が理想。話がシマウマからだいぶそれたが、このシーンの誕生のおかげで、独自の白黒の価値観を持つシマウマへの想いを田花さんが朗読するシーンが生まれた。

シマウマの話
あなたは、
あなたの白を白と呼び、
あなたの黒を黒と呼んだ。
あなたは「黒」と言うときに必ず、
何も音を出さない口を作って、
ほんの少しの時間をおいてから、
クロと言う。
その時の右の眉の端を持ち上げて、
なのに目はほんの少し笑って、眉間にシワのよった、その顔が好きでした。
私達の「白」をシロ足らしめる為の、私達の「黒」が、あなたにはオモチャのような「黒」に思えていたのでしょう。
そんなオモチャの「黒」を
目の当たりにした時、
あなはたいつもきまって、
どうでも良さそうな顔をして、不思議な鼻唄を歌うのでした。
私も困るとあの歌を歌いたくなるのに、不思議と全く思い出せない。
あなたが歌う時はいつも心のなかで一緒に歌っていたはずなのに、あなたの歌を聴くことがなくなった今。
全く思い出せないんです。
あなたは「黒」を決して悪いようには言わなかった。
むしろ「白」が「シロ」だと言い張る事に腹を立て、「白」を褒め称える私達に呆れを覚えていたのでしょう。
不思議とあなたに呆れられる事は、
私にとっては「黒」ではなく、
かといって「白」でもなく。
あなたにしか抱くことのなかった
人生ではじめての「色」でした。
その色は大きな文房具屋さんの
絵の具の棚でも見かる事はなく、
多くの色に溢れる夏の山でも叶いませんでした。
あなたでしか見つけられなかったその色を、心のなかで毎日探す。
右の奥の方や、左の上の方や、右でも左でもない辺りに心を澄ませても見つからない。
もう少しこの宝探しに時間を使おうと思います。
あなたの不思議は沢山ありますが、
なかなか窓の外を覗かなくなったあなたが、雪に覆われた庭にある松の木に、大きな蝶がとまっていた事を、嬉しそうに聞かせてくれた日の事は、いまでも愛おしくて仕方がありません。
こんなに寒い冬の日にそんなに大きな蝶が庭にいるはずがないと笑う私達に、あなたは自分の事をひらひらと笑いながら、でも確かに蝶が飛んで来たと言ってきかなかった。
あなたの口からも、白黒はっきりしないような不確かな夢のようなお話しが出てくる事に驚き、喜び、寂しかったのを覚えています。
今朝ラジオからあなたが鼻歌でうたっていた曲が流れた気がしました。
台所に流れる水の音にかき消されそうになりながらも、
確かにあの曲だったように思います。
昨晩夢に出てきたあなたは、
やはり右の眉の端を持ち上げて、
なのに目はほんの少し笑って、眉間にシワのよった顔をしていました。
その眉間に触れることが出来ない今が夢なのか、心の中で宝探しをしている事が、
今歩いてきた道の何処か途中の出来事なのか。
考えるほどに、あなたと私の今が曖昧になり、「白」でも「黒」でもない事に心が踊り。
「黒」だと思われていた事の中にも「白」と「黒」がある事に涙を流すこの時間が、「不幸」とも「幸せ」とも呼べない尊い時間になりました。
始まる事もなければ、終わることもない、この広くてちっぽけな空間に、身も心も投げ出した時、わたしの腕や、耳や、かかとや、あばらが踊りだしました。

熊谷拓明 著

ここで初めて具体的な「言葉」を生んでいくったのだが、今回はこの文章に作品が良いリードを受け、冒頭の意味や今後の流れが一気に僕の中で繋がり始めた。
創作に「必ず」は存在しないが、
とにかく疑わずに進んでみる。
駄目ならすぐやめる。
でもやっぱり進みたくなったらすぐに戻る。
を穏やかな顔で繰り返すのが「お洒落」だ。

浮かんでくる作品感

リハーサルも終盤、楓子のソロを振付しているとなんとも踊りにくそうに踊る。
顔もさえない。返事もさえない。
明らかに何かが詰まっているのだろうけど、
一度振付を進めてみた。
進めて違うシーンまで時間が流れた方がいい場合もあるので、進めてみた。

後日、何を思って動いたら良いのかがわからないのだと言う。
これはダンス劇にたまに出てくる落とし穴であり、キャストを悩ます一つのチャームポイントである。僕があまりにも全ての理屈の説明や、動機付けを行うので、動く、止まる、の全てに言葉で説明出来る何かがあるのではと感じてしまう。
何もない事はないのだが、他者から見ると無意味な行動や景色は人生に山程あり、その無意味からしか感じられないリアリズムがある。その事を説明せずに当たり前として進むと、このように誰かが「詰まる」という行為で僕に知らせをくれる。

ここで初めてこの作品が、冒頭に何が起こって、どんな景色を辿っているのかを言葉少なくキャストに話してみた。

この作品のリハーサル中、僕の頭の中で「翳りゆく部屋」が流れるようになっていた。
ユーミンが荒井由実の時代に作った楽曲である。多感な14歳の荒井由実のとんでもなく暗く、しかしだからこそ希望のある死生観を勝手に僕が受け取ったのだろう…

冒頭でのべた、『自分と地続きなワケヘダテられない事柄』の中にはもちろんこの世を去るという出来事が存在する。だとするともういない人との時間も、あの世が存在するならばそこでの時間も、誰かを嫌うことも、愛することもワケヘダテなく地続きなのであろう。という思考が全く違う理由から生まれた動きや、景色に薄いベールをかけるように作品全体を覆い、俯瞰するようになっていた僕は、それぞれのシーンがワケヘダテなく存在する愛しい時間の出来事として腑に落ちて来ていた。

僕は自分の残された時間の中でとうてい叶わない事を暁くんにたくす、おじいちゃんのような気分のシーンもあれば、そんな暁くんと田花さんの大人のデュオを、まだ何もわからない子供である楓子が、僕のライトにガイドされて眺めている。
自分には到底理解できない光景に戸惑うが、
今度はその子供が大人の愛を知らないまま向こうの世界へ行ってしまい、そこへやって来た大人の愛のデュオを踊った田花さんを、自分にできる限りの饗し(リコーダーの演奏で迎える)を行う。
田花さんは後に出てくるシマウマの話の中、大切なあの人が晩年語った夢の話に出てくる、雪の中を飛ぶ蝶々を心で描いている(熊谷が紙吹雪を降らせながら玩具の蝶々を飛ばす)ここで全ては述べないが、そんな事を話した気がする。

楓子は少し動きへの不安が解消されたようで、自分の経験と未知の感覚との間で様々なチャレンジを始めた。田花さんは「なるほどー」と言いながらも根本的にダンス劇な中で自分はどう存在するかをひたすら探しているようで、毎回奮い立たせてトライする姿が良かった。
暁くんは「おす、おす、おす。」と瞬発力で返事をするが、きっとリハーサルではない時間に悩んでいるだろう。どうしてもだめな時にちゃんと僕に打ち明けてくれる為の関係値を引き続き育てよう。

このように、3人いたら3様の伝え方と引き出し方を常に工夫することも作者のやるべき作業であるように思う。

無音と音楽の関係

今回の作品で流れた音楽は
CHUBBYの音響システムから流れる音(その場にいないキャストが音を出す)と、作品の景色に実際に存在しているカセットデッキから流れるテープに収録された音楽の2種類。
70分の作品中で5曲のみが使用されている。

その他はいわゆる無音であり、キャストの息遣い、歩く音、布が擦れる音、観客の笑い声や、呼気のみである。

無音のシーンで大切にしていることは、キャストと作家の中でだけの妄想を入れ込まない事だ。あの人が凄い勢いで近寄って来たから、もう一方の人は少しよろめいたのだな。
というように、その場で起こっている事実を観客とライブで共有しなくてはいけないと自分に決めている。
きっとこの人達は私達が聴こえていない音楽が聴こえているんだろうな…
のような疎外感を客席に持たせたくないし、そもそも客席という意識ではなく、みんなでその時間を体感しているのだから、そこで起こっている事以上でも以下でもあってはいけない。基本的に楽曲に関しても使うのか、かけないのか、何の音楽なのかをギリギリまで決めない事にしている。

ここで音楽がかかればこのシーンあともう少し楽しいのにな…という理由で曲をかける事に罪悪感を覚える。

動きをみているうちに、かかってもない楽曲が聴こえて来たような錯覚がやって来た時に本当に音楽がかかるのが理想の形であり、そこをギリギリまで攻めたいので決めない。

今回はシマウマのシーンで使っていた曲が、あまりにもそのシーンをどう捉えて欲しいかを観客に押し付けてしまっている気がして、直前に曲を変更した。さらに本番2日目では曲のきっかけを遅らせた。これはキャストの動きから浮かぶ印象がより強くなった事での変更であり、とてもハッピーな出来事であった。

大切なのはその場にい合わせる観客がハッピーかどうか。それに尽きる。

CHUBBYと黄色いラグマット

稽古場でリハーサルも終わり、1/28の夕方から会場であるCHUBBYでのリハーサル。

あの空間に2枚の黄色いラグマットが敷かれ、
灯りがあたった瞬間、僕の中では全てが大成功した。神々しく輝く黄色いラグマットと、CHUBBYを20年間支えている板の目の床が、全てをワケヘダテなく迎えてくれた。

photo 軽部将大

稽古場で感じるin/wakekedateからさらにどんどんと進化したイメージが頭の中に広がり、
リハーサルの始まりを待つキャストに「僕は3人をとても信頼しているから、これから数時間でとっても変わります。僕をなんとか信頼して着いてきて。」と言ってみた。
3人とも観念した素敵な笑顔を見せてくれた。

それからは作品が空間と呼吸するように変化していき、田花さんの存在仕方もかなり本人の中でクリアになった様子。楓子はやっと自分を楽しみ始め、暁くんは「やばい。お洒落だな、この作品。」と珍しく違う事を話した。実は彼が自分と踊りについて語るシーンを作ったのは数日前だったので、少し心配していたが、自分なりの緊張の作り方と、乗り越え方を見つけているようでひとまず安心。

出会って2年目になるCHUBBYのオーナー高木さんと僕のコンビネーションもとてもスムーズになり、空間を知り尽くした男に託す場面、リハーサルで積み上げた4人の関係で乗り切る場面。色々な景色が広がった数時間が、この作品を観客に届ける最後の支度を整えていった。

支度の期間

今回のin/wakekedateがお客様の前で上演されるまでの期間は約2ヶ月であるが、CHUBBYで新作を創ろう、誰とやろうか…から数えると約8ヶ月の支度の時間が流れた事になる。
これが長いのか、短いのかはその時々の状況によるが僕にとっては、常にフワフワと意識し続けた時間であり、『ダンス劇』にかんしてはフワフワと10数年意識し続けている事になる。
この「フワフワと意識し続ける」事を僕は大切に思っていて、それが冒頭に述べたような、2ヶ月で約5-6時間を15回というペースでのリハーサルが理想という話に落ち着く。

キャストにも「フワフワと意識し続ける」時間を過ごしてもらい。根本には、リハーサルでキャストそれぞれの技術が向上するという概念がなく、技術の向上はそれぞれが責任をもって日々取り組む事だという思いのもと、スケジュールを組んでいる。

互いの身体をコンタクトさせながら複雑に動きを進めるシーンや、発話や、身体のニュアンス等。この作品の為に多くの新しい事に取り組まなければならない場面もあるが、新しい知識と、それぞれのこれまでのトレーニングで得た引き出しとの結び付け方をこちらが工夫をして伝える事で、とてもスピーディーにキャストは変化を見せてくれる。

あとは「ダンス劇」をリハーサル以外の暮しの中で、うっすらと意識してもらえるようにつとめる。
具体的には“寝る前に思い返しても苦痛にならないリハーサル“を行う事を大切にするのみ。
とても難しいが、これが良いダンス劇を誕生させる最大の秘訣だと真剣に思う。

上演されてさらに

5日間。多くのお客様がとても自由に、寛いでin/wakekedateを楽しんで頂けたのは、これらの全てと、その時間をCHUBBYで過ごす事を選択して下さったゲストの皆様の作り出した「暮しの風景にダンスが溶け込む」事が起こったからだったと思う。
今も、僕の脳裏に全てのお客様の顔や、支度の期間のあれこれが愛おしい記憶として残っている事はとても幸運な事であり、誇るべき事である。

これからも暮しに溶け込む踊りのある景色を求めて、作品、場所、時間、人の流れを創り続けたい。

今回のこの記事で、ダンス劇やin/wakekedateがほんの少し気になった方、すでに出会って下さっていて読み進めて下さった方、長い読み物にお付き合い頂きありがとうございます。

in/wakekedateはきっとまた何処かで皆様の前に現れることでしょう。

そして会場での時間とは違う形でこの作品を残した映像がこの度完成致しました。
CHUBBYというギャラリーで飾られた作品をお家に持ち帰るように、この「in/wakekedate」を暮しにとどめて頂きたく、普段の映像配信のような視聴可能期間を設けず無期限でずっとお楽しみ頂けます。
そんな作品の残し方を、楽しんでご協力頂けると僕も作品も喜びます。

またお会いしましょう。

熊谷拓明。

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ダンス劇作家『熊谷拓明』
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