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ダンスに捉われずに踊り続ける

この所なんだか調子が良い。踊り続けて30年、気持ちや心や身体の調子のほとんどが『踊り』を通して頂くギフトで成り立っている事は仕方がない。
私生活のごたごたも、『踊る』が調子よければわりと乗り越えられる…
しかし私生活と踊りはとっても親密なようで、互いが影響し合い結局落ちる時は落ちるのだが。
というお話をしたいのではなく、
調子がいい話と。
最近自分以外の『踊る人』や『踊りに関わる人』に出会い、再会し色々と気が付けた事の話をしたい。

踊り続けて30年になるが、その間にどのくらいダンスから抜け出して踊れたかと数えてみると、おそらくそう長くはなく、最近のことだと改めて思う。

ダンスを始めた頃は、ただただ上手くなりたい、かっこよくなりたい、発表会で良いポディションで踊りたい、あの人の方がだんぜん上手い…
どうしよう。
とまぁこんな感じの思考で、ダンスをする環境や周りの評価に振り回されまくって青春を送るのだ。
そこから少し経つと、ダンスの仕事が欲しい、東京へ行きたい、海外に行きたい、オーデションに受からない、受かりたい、ダンス関係の知り合いが欲しい、だれも観てくれない。
などなど、内容の変化はあれどやはりこのようなマインドで過ごし、
そんなあれこれに堪えられなくなり、ダンスから離れて「ほっ」とした表情で新しい人生を送る人がちらほら出てくる。
悪い事ではないし、みんな自分の人生を豊かにしようとダンスを始めたり、辞めたりするのは当たり前である。

では僕はどうか?
やはり周りと比べるし、焦るし、怒るし、救われるしの連続であった。
辞めなかったのか、辞められなかったのか。
諦める勇気がなかったんだろうと思う。

そうしているうちに20代30代40代と自分は変化していき、
キャリア的には長くなり、振付だって始めるし、自主公演で作.演出みたいなことまで始めて、いよいよ溺れていくのだ『ダンス』に。
だれも悪気なんかなく、みんな自分を、ダンスの環境を良くしたいだけのはず…でも人間って弱いから、自分を見張る振りをして、他者を見張るんですね。隣で踊っている人の踊りを勝手に評価したり、あの人の作品を評価したり、その人を評価している批評までもジャッジし始めて、そしてやっぱり傷ついて…本当に大忙しなんです。

僕自身どのくらい忙しくしたでしょうか、つい最近まで心に触る事が多い青春時代を過ごしていたように思う。
冒頭に「なんだか調子が良い」と書いたのは、そこから抜け出せた気がしているからなのです。明確な時期は定かではありませんが、じわじわと楽になり、そうしたら周りの人の顔がやっと見えて来た感覚でしょうか。
「声」がずっと聞こえていた気がしていました。
正確には声が聞こえてこない事に焦ったり、も含むのですが。

しかし顔が見えてくると、みんなわりと笑って見ていてくれたんだなと思うんです。もちろんそうでない人も沢山いますが、そんな事全てに面と向かうほど人生長くないですから、いいんです。
言葉は時に大きく人を勇気付けますが、誤解も生む。
身体はやっぱり良い。
目に見える他者の身体だけでなく、自分の身体が本当は何を感じているかを
考えるようになりましたね。
誰かが自分に向ける評価を勝手に想像したり、自分が他者に下している評価に惑わされて、ぐるぐるする事よりよほど大切で、豊かな事のように僕は思うんです。

そうしてほんの少しダンスから離れて踊り始めた感覚を手に入れ始めると、
ダンスの世界が呼んで下さる事が不思議とあるんです。
「ダンス劇」と自分の作品の事を呼び、必死でダンスの人達に評価されないようにしていた数年は、じつは評価してほしくて仕方がなかった数年間であり。
今度はそれらを手放すと、熊谷さんのってダンスですよね?
ぜひ踊って下さい。って言ってもらえるようになった。
これは素直に嬉しいです。

そうして踊る人と仕事をしたり、ダンスを扱うフェスに呼んで頂いたり、
これからも有難くそんなお話があったりとしますが、とにかく楽しい。

なぜなら評価がいらなくなったんです。
嬉しく思った自分が、現在やりたい事をやりたい人と精一杯やって、そこにいる方々と出会ったり、再会したりする。それでもう合格なんです。
そこからどう思われたいとか、何を言ってほしいとか、認めてくれ!
ってのはなくなり(認めて下さっているから呼んで頂いている事ももちろん承知と感謝)だから純粋に楽しい。

改めて今大切だと感じるのは、自分を創るという事。
長く創ってきたし色々あったけどやはりそこに限る。
創るというのは作品だけではなく、自分が楽しく踊る場所や社会との関わり方を、そして自分の哲学を創ろうという事だ。
その先でやっと自由に踊る事が手に入る。

自分のやりたい事に誰かが手を差し伸べてくれて、引き上げてくれる時期ももちろんあるが、それはあくまで経験を積む場所であり、そこから先の実践は一人である。
どんどん旅立たなくては手を差し伸べる人達や組織の体力(予算)も失われ、
でもあなたがやりたい事だろうから、この少ない予算で実現できるように互いに頑張ろう!という話になる。もう僕はこれ以上自分の踊りや作品や活動を疲弊させる事は嫌だし、周りの人にも押し付けたくはない。

誰かの栄養で進んで行く事が必要な事もあるが、自分で栄養を創り始めなくては、ずっとそれを探すことに自分の踊りの時間を捉われることになる。

ダンスに捉われずに踊り続ける。

これが僕の理想であり、光が見えている道である。

若い踊る人とよく出会うようになってきている、
それは単に僕が若くなくなり、周りが若いだけなのか…
とにかく、そんな方々へ伝えられるような立場ではないが、
気になったらいつでも話しかけて欲しい。
ヒントは伝えられなくとも、現在の自分事は話すことが出来る。

そして自分のスペシャルをどうか大切にして欲しい。
あなたの「踊る」を搾取する資格は誰にもない。

ダンス劇作家
熊谷拓明

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ダンス劇作家『熊谷拓明』
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