Yacht Yacht Yacht !! Kenji Ozawa Live 2022 @ Fukuoka
小沢くんのライブに行った。
友達でもなんでもないけど、僕の中で小沢健二は小沢くんで、奈良美智は奈良くんと、勝手に親しみを込めてそう呼んでる。だからここでもそう書きたい。そしてこの温かい気持ちが冷めぬうちに感動を、僕のために残しておこう。さぁ、心の中の光と共に飛び立て!!
2022/6/10、二年越しのライブが福岡サンパレスで行われた。
2020/6/14に行われる予定だったライブがコロナで繰り越され、この日まで延期になっていた。発券済みのチケットはずっと机の抽斗の、目につく場所にしまわれていた。それを手に列に並び開場を待った。会ったこともない、生き方だって違う人たちが、それぞれの暮らしの中で小沢くんの曲を聴き、その音楽を好きになり、僕と同じようにここに来ている。小沢くんが来てくれるから、こうして集まっている。この風景だけでもちょっと胸が熱くなる。建物に入ると物販コーナーにTシャツやトートバッグ、キャップなどが並び、多くの人が目当てのものを求めていた。会場ロビーにはあの曲とあの曲の歌詞には、地形的に実はつながりがあるんだよってことを示す地図が置かれていた。
そもそも小沢くんの曲を僕はなぜ聞くんだろう?
僕にとって何が魅力なんだろう?
小沢くんしか聞かないとか、小沢くんの大ファンとかそういうことはない、大好きな人には失礼かもしれないけど。うん、そうだ。だけどライブがあれば心からメチャクチャ行きたい!って、普段は怠け者の欲が騒ぎだす。
なぜだろう? 90年代に活躍してたときにはスルーしてたのに。
すぐに思うのは、至福な時間を味わえるってことかな?音楽で至福?変な表現かな。うーん、何気なく過ごしている日常に至福があることを気づかせてくれるから。歌詞の中に散りばめられた日常のキラメキ、その輝度が詩的で強い。そんな言葉を運ぶメロディは、蛍光色に彩られ、暗闇の中で、人工的に明るく、まぶしくきらめき、その揺らぎがまた心地いい。(ライブ風景の影響を受けてそう)
会場は30分前からざわついてる。舞台の上には様々な楽器が並んでいる。コンガやボンゴ、ティンパニにハープ、鉄琴、ドラム、鍵盤、トランペット、トロンボーン、サックス。楽団に合わせてなのか、会場では民族音楽がリピートで流れている。開演前のざわつきは、興奮と期待が自由に舞ってる感じがしておもしろい。ただそれも開演時間を過ぎても姿を見せてくれないと、不安が少しずつ混じり出す。小沢くんが舞台に現れたのは20分遅れの19時20分。観客の視線は一瞬で舞台の上に集中する。
いちょう並木のセレナーデだっただろうか?メロディに乗せた朗読からライブは始まった。そこからは興奮しっぱなしでセットリストは覚えてない。この瞬間の強い気持ちを全身で浴びるよう、僕はもう完全にその音楽に身をゆだねていた。小沢くんの歌声には本当に強い強い強い思いが感じられた。明らかにそれが声に現れていた。若い頃よりも、最近メディアで目にするときよりも、力強さがあった。小沢くんも歳を重ねているはずなのに、2年間というブランクを経てもマスクを強いられ、声を出せない僕たちに代わって、小沢くん自身がその分もと声を出してくれているようで、そこには魂からのエネルギーがあるような気がした。小沢くんは一人で歌いながら、何度も声を出せない僕たちに、聞こえてる聞こえてると呼びかけてくれた。僕らの方だって、その熱くやさしい思いをたっぷりと歌声から受け取っていた。
「強い気持ち、強い愛」が流れてるときの会場全体のノリとか、「泣いちゃう」を静かに聴いてる時間とか、「ある光」や「天使たちのシーン」を歌ってくれた喜びとか、過去には未来が含まれているという話とか、トランペットの音色による恍惚さとか、楽団の蛍光色の服装とか、「失敗がいっぱい」のダンスとか、飛び跳ね、頭を振りながらギターを弾く姿とか、もうたくさんのことがぐちゃぐちゃしているけど、どこまでもポジティブなパワーがあって、体を透過していく強く澄んだ音の流れに心が洗われた気がした。そして、「生活に戻ろう!」、その一言で濃密だった時間はあっさりと幕を閉じた。
福岡サンパレスから博多駅まで、缶ビールを片手に友達と歩いた。
駅に着くと、激しく雨が降り出した。バスのワイパーは激しく動いていた。
これからまた生活はつづき、年齢を重ねていく。
日常と非日常がごちゃまぜになってライフはずっと続いていく。
興奮と悲しみがまだ入り混じってる。ただ、そんなに悪くはない。
きっとまたいつか。うん、そして、ありがとう。
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