第54回 東京都民俗芸能大会「風流踊の世界」について
今年の2月4日(土)・5日(日)に第54回目の東京都民俗芸能大会が開催されました。筆者も現地で実見しましたので、その時に得た知見や踊の紹介を書いてみようと思います。
自己紹介
まず自己紹介をさせていただきます。
私は大学で民間の念仏信仰を研究している学生です。研究、というと大袈裟な感じがしますが、地域に根づく念仏踊の宗教性を様ざまな角度から調べています。この記事を書いている現在も、岩手県のさる団体様と奈良県の博物館ご所蔵の未翻刻史料を、市の教育委員会や学芸員さんと連携しつつ調査させていただいています。普段からこうした地域の資史料をもとに調査を重ね、勉強の糧を積んでいます。
私は Twitter で踊歌を紹介する Bot を運営しており、この note はその延長として作りました。踊歌を紹介する、という営みをしてよいのか若干の抵抗もあり、ものの1か月ほどで閉鎖する予定だったのですが、実際に踊をされている方々からの有難いお声も頂戴して、今も運営させていただいています。私自身とても参考になることが多いですし、御興味のある方々にとって楽しんでいただける以上、存在意義はあるのかな、というのが現在の心境です〔勿論、広告としての機能は皆無なので何も貢献できていないのですが…〕。
東京都民俗芸能大会とはなにか
さて、初回記事は表題の通り、第54回 東京都民俗芸能大会「風流踊の世界」を扱うことにしました。話の導入もかねて、そもそも東京都民俗芸能大会がどのような企画であるのか確認してみたいと思います。
歴代の東京都民俗芸能大会については、雑誌『民俗藝能』[1] に詳しいです。同雑誌では東京都民俗芸能大会の広報・批評が第1回から殆ど毎年おこなわれているので、東京都民俗芸能大会を知る上では格好の資料であるといえるでしょう。
さて、第1回 東京都民俗芸能大会に関する記事は『民俗藝能』第22巻所収「東京都民俗芸能大会」にうかがえます。執筆者は中村萬之助とありますが、のちの二代目 中村吉右衛門さんであると思われます。氏によれば、芸能大会は昭和44年以来の都の助成事業によって企画された案件だったようです。
また、雑誌『藝能』[2]第40巻では、宮尾しげをが第11回東京都民俗芸能大会にかんする寄稿において、東京都民俗芸能大会における演目選出の指標を述べています――①珍しいものであり、あまり知られないもの ②いまは中絶しているが復活できるもの ③伝承が危ぶまれるもの。
さて、これに対して近年の都が推進する選出方法には一定の事情があるようです。昨年は新型コロナウィルス蔓延を受けての「疫病退散」、今回はユネスコ無形文化財登載を機とした「風流踊」。こうみると、宮尾しげを的提案とは異なった、やや迎合的な態度が窺えてくるような気もします。無論、こういった動向の背景には充実した集客という目論見があることでしょうし、江胡の関心が向くのは決して悪いことではないと思います。
また、来年以降は親子を対象としたワークショップなどの企画が用意されているようで[3]、今回も西馬音内盆踊の所作のレクチャーがありましたが、より幅広い世代に呼びかけようという意識がみえます。こういった流れは〈体験型〉を意識した博物館の教育普及事業などとよく似ていて、近年の文化事業全体にうかがえるムーヴメントであると評価することができるかも知れません。
第54回 東京都民俗芸能大会「風流踊の世界」
既に述べたように、今回の企画は風流踊のユネスコ無形文化財登載が契機になっています。参加団体は以下の通り。
2月4日(土)
・鳳凰の舞保存会(日の出町)
・厳正寺水止舞保存協力会(大田区)
・二子流東京鬼剣舞
(岩手県北上市 ※東京で継承する日本各地の芸能)
・秋田西馬音内盆踊り 首都圏踊り子会
(秋田県羽後町 ※東京で継承する日本各地の芸能)
2月5日(日)順不同
・小河内鹿島踊保存会(奥多摩町)
・花畑大鷲神社獅子舞保存会(足立区)
・浅草寺舞保存会白鷺の舞執行委員会(台東区)
・桜風エイサー琉球風車(町田市 ※学生団体)
既に実見済の団体さんもいくつかありましたが、個人的には西馬音内盆踊りと小河内鹿島踊が特に気になっていました。
まず、流麗でミステリアスな芸態をたたえる西馬音内盆踊りについては、その評判もさることながら、本田安次が『日本の伝統藝能』「奥羽の風流」[4]で「美しさに魅せられて」「一晩私も踊の中に交り、踊を敎はつた」と書いていたので、ひとしお関心がありました。
小河内鹿島踊はダム開発で水没した旧小河内村に伝えられていた鹿島踊を復古したものです。かなりの量の踊り歌が遺存しており、安政年間の歌本もあるということで、近世以来の歌を偲ぶ興味深い例であるといえます。また、その歌の詞章・句・精神は明らかに中世歌謡の流れをひくものでもあり、ぜひとも一度観ておきたかったところがありました[5]。
思いがけず興味深かったのは、鳳凰舞の奴踊の口上でした。手許にメモもしましたが、本田安次が採集していたので引用します。
台詞にみえる「ここはどこ」は、様々な踊歌にうかがえる定型句のひとつです。たとえば関東圏の獅子舞歌には「ここはどこ ここは吉野の桜山/ここは吉野の花の中/ここは吉野の花所/ここは高天原なれば」などという歌が多くありますし、大和国(現奈良県)一帯の雨乞踊歌にも「ここはどこ」に始まる例が多くあります。
その古例は中世歌謡にみえ、『閑吟集』に
というものがあり、このような歌謡が近世にまで多様なかたちで影響したといわれています。
ちなみに永池健二は「「ここは何処」とまず土地の名を尋ね、下に「ここは~」として地名を喚起する表現が、歌謡表現の一つの類型として広く流布していた」とし[6]、「『閑吟集』二九九の背後にある精神世界」が日本の歌謡に深く浸透した点を指摘しています[7]。つまり、「ここはどこ」型の唄は先だって小歌的であり、ゆえに踊唄等の類例は小歌が変化した結果であるとしています[8]。
このようななかで、「ここはどこ」型の詞句が歌謡ではなく台詞として定着していたのを、興味深く思いました。
おわりに
少し長くなってしまいましたが、このように様々な踊が一堂に会する機会というのは、やはり知見をいくつも得ることができて楽しいものです。色々な種類の踊を選り取り見取りに鑑賞できることで、相対的な見方も可能になる良い場所だと思いました。
もっとも、こういった民俗芸能大会は踊の発信・継承の場として大変有意義である一方、少なからず課題を抱えた機会であるともいえるかも知れません。たとえば会の企画書に「宗教的な行為」を行わないことが誓約化されていますが[9]、本来的に宗教性を内含して成立・展開し、また宗教性を弘めることが目的化されることさえある民間の踊の公演において、「宗教的な行為」を行わないことが誓われている点、踊における本来の意義を全面的に推しだすのは困難なのかも知れない、という感慨を幾ばくか懐きます。いうなれば踊における宗教性は「宗教的な行為」としては認められない、踊における宗教性は芸能公演下においては装飾的要素である、という見方は、公的環境下における伝統の保存という議題として、宗教学や民俗学が論じるべき課題と言えるかも知れません。
なお、次回は里神楽をテーマにした記事を書く予定です。もしご興味ありましたら、ご高覧いただけますと幸いです。
参考文献
・東京都の諸芸能に関わる刊行物
本田安次、『東京都民俗芸能誌』上下巻、(錦正社、1984年)。
・踊歌に関わる刊行物
真鍋昌弘、上岡勇司、真下厚ほか編、『講座日本の伝承文学 第二巻 韻文文学〈歌〉の世界』、(三弥井書店、1995年)。
浅野建二校訂、『閑吟集』、『新訂 中世歌謡集』所収、(朝日新聞社、1973年)、164-165。
註
[1] 『民俗藝能』は金田一京助や町田佳聲らを顧問に置き、本田安次、宮尾しげを、郡司正勝らが編集委員を担った雑誌で、諸地域の民俗芸能の調査報告・紹介が毎号特集されています。芸能研究のうえで必須資料といえる存在のひとつです。
[2] 本田安次、郡司正勝、戸坂康二らの企画による雑誌。前出『民俗藝能』と同様に高い資料的価値を誇る刊行物といえるでしょう。
[3] 次回の東京都民俗芸能大会の企画書が既に公開されています。「第1号議案 「第55回東京都民俗芸能大会」の共催名義の使用について」https://www.city.bunkyo.lg.jp/var/rev0/0254/4478/gian_1.pdf
[4]本田安次、「奥羽の風流」、『本田安次著作集 第十一巻 日本の伝統藝能 風流Ⅱ 諸国の風流1』所収、(錦正社、一九九六年)。
[5]ちなみに作曲家の間宮芳生氏は自作に小河内の鹿島踊の音楽を取り入れています。また、柴田南雄氏も作品制作のため取材・構想してたらしいですが、のちに撤回しています。
[6] 永池健二、「地名と歌謡 ―道尋ねの表現をめぐって―」、真鍋昌弘、上岡勇司、真下厚ほか編、『講座日本の伝承文学 第二巻 韻文文学〈歌〉の世界』、(三弥井書店、1995年)、109。
[7] 前掲書、110。
[8] また、永池健二は前掲書で特に大和(奈良)の雨乞踊を名指しし、地名喚起を目的化した唄と道行における宗教意識として、「境界を越えて聖域へと参入する者たち」による古作法の継承を認めています。
[9]前掲「第1号議案 「第55回東京都民俗芸能大会」の共催名義の使用について」、12。
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