あなたの目が私の目になる
それぞれの感性でキャッチした世界。
SNSで流れてきた、その人の目を通し、その人が向けたカメラを通し、その人の言葉や表現を通してシェアされたものが響くことがある。
その時、思ったことがあります。
あなたの目は私の目になり
私の目はあなたの目になる
投稿された画像や言葉には書かれてなくても、それを撮影したくなった感動やシェアしたいという気持ちは、その画像に情報として書き込まれているのかもって妄想していた。
デジタルの情報かもしれないけど、それを私が受け取る時、画像の波の中に振動となって伝わっているのではないかって思った。
その感性に合う感度を持ち合わせている人に届くもの。タイムラインに流れ消えていくものたちは、そこから発せられた波の感度を受け取るタイミングではなかったんだ。受信機のチューナーは日々の中で変化しているから、受け取れる時に受け取ればいいものだったりする。
響くものとそうでないものの違いは、受け取る周波数帯の違いであって、そこに良し悪しはない。
物質に想いが宿るのはイメージしやすい。
お守りをただの紙の入った布袋だ。そう思えば、ゴミ箱に捨てることに抵抗はない。しかし、大切な人がわざわざ、私のことを思い神社で買ってきたとわかっていたらお守りを付けないたちだったとしても、ゴミ箱に放ることは出来なくなる。そこには何かしらの思いを受け取っているから。
それと同じように、質量のないデジタルにも、そんな思いの情報も波として書き込まれている気がした。
そこに向き合っている気持ち。
作った時の作品への願い。
発信した写真や言葉への思い。
たくさんの「いいね」や応援コメントがついている投稿より、その瞬間に思わずカメラを向けて切り取った空の写真にスクロールをする手を止めるのは、そこに写真や言葉の背景を感じているのかもしれない。誰かにシェアしたいという無邪気さに共感共鳴しているのかもしれない。物質もデジタルもあいまいになっていく。
あなたと私
そこにある世界では
あなたの目が
私の目になっている。
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