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父親と息子とバリカンと

いつもより早く仕事が終わり、家路を急ぐ運転席。ハンドルを握る右手は何も考えなくてもいつもの道をたどり、アームレストに置かれた左手がビートを刻む。仕事でいいことがあると、そのままプライベートに影響するものだ。車庫入れも軽やかに自宅に到着した。上機嫌で車のドアを開けると玄関先で話す、父と妻の声が聞こえてきた。自宅は、実家の隣に建てたので距離的なアドバンテージも手伝い、親との距離も近い。子どもたちが実家とを行き来し、妻も上手に振る舞ってくれているおかげで親子のコミュニケーションが取れている方だと私は思っている。 


父「家にバリカンあるか?」 

妻「息子の髪を切る用のならありますよ」 

仕事の荷物を抱えたまま、私が会話に加わる。 

私「充電しないと今、使えないよ。自分でやれるの?」

父「周りが伸びてきたから切りたいんだけど。ちょっとだけだからやってもらいたいんだけど…。床屋行くのも、もったいない」 

そんな言葉を聞いて、私が小さかった頃の父親との会話を思い出していた。散髪に行ってきたと言う父を見て、
「どこを切ってきたの?」と質問するのが定番だった。 

「無いものを切るのも理容師の腕の見せ所。髪も取られて金も取られた」と笑って返していた。


私「明日、休みだから、やりに行こうか?」 

父「じゃあ、朝、早めがいいな」 

話し声が聞こえたのか、娘と息子も玄関を覗きにきた。

娘「切るところないじゃん」(笑) 

息子「髪無くなっちゃうね」(笑) 

妻「すぐに終わるね」(笑) 

うちの家族は失礼なやつらだ! 

そして、その遺伝子を直接受け継ぐ私は全く笑えないのだ…。 

次の日、朝食を終えると、夜のうちに充電しておいたバリカンと家に飲まれずに残っていた頂き物のお酒を持って実家に行った。挨拶も早々に新聞紙を絨毯に広げた。一晩、充電したバリカンは、スイッチを入れると大袈裟に唸った。


バリカン歴9年。バリカンは私の役目だ。息子が幼稚園の時にこのバリカンを購入し、小学6年になった今まで、何度となく息子の髪を刈り上げてきた。 

初めてのバリカンは、幼児の柔らかすぎる髪の毛に刃が入らず結局、ハサミでカットした。低学年の時にはソケットを付け忘れ、後ろを虎刈りにしてしたこともあった。鏡では見えないことをいいことに息子には黙っていた。最近はツーブロック風にし仕上げるのが得意だ。確実に腕が上がり、気がつくとバリカンは私の楽しみにもなっていた。 

息子をお風呂場でパンツ一枚にさせ、スマホでアニメを見せながらカットするのがお決まりで、終わるまで鏡を見ることがない。ヘアスタイルへの注文もない。まだ、おしゃれに頓着がないことが、私の役目をかろうじで保てていた。そんなバリカン歴9年の私が、親父の髪を刈り上げる時が来るとは想像もしていなかった。

昨日は機嫌が良かったからか、父からの依頼をめんどくさがらずにすんなり承諾できた。普段、親孝行らしいことをしていないし、子どもたちの成長や私たちを支えてくれる両親に、ほんの少しでも恩を返したい気持ちがあるが日常に追われ後回しにしてきた。
だから、「これは親孝行できるチャンス」だと打算があったかもしれない。これで返せたとは全く思わないが、返せるものは返したいと思ってしまうのは、人の性(さが)だろう。子は親の大きな愛を、生きているうちには返しきれない。だから、それを未来の子どもたちや、供養というカタチで託すのかもしれない。「機嫌の良さ」は、私を素直にさせてくれた。


バリカンで刈り上げるということは、親父の頭皮をダイレクトに触るということだ。息子の頭はしょっちゅう撫でたり、抱きしめたりしてるが、親父の頭、髪を意識的に触ることなど今までなかったので、おやじの頭を触っていいものだろうかとほんの少しだけ戸惑った。しかし、バリカンにスイッチを入れるとバリカン歴9年もオンになり、そんなこと、どうでもよくなった。それよりも、居間に新聞紙をひき、四つん這いになり頭をもたれる親父の姿が滑稽だった。

父の細くなった根っこ毛の白髪は、思った以上に手強く、それはバリカンが入らなかった幼少期の息子の髪の毛を彷彿とさせた。刃の当てかたのコツを掴むのに苦戦し、妻の予想を反して時間がかかっていた。 

髪型の完成形が見えなかったが、頭の周りだけスッキリさせて欲しいというミッションを無事にクリアし、父は鏡を見ずに、頭を手で触りで確認してOKを出した。 

新聞紙の上に切り落とされた、白髪混じりの髪の毛は驚くほど少なく、鼠色の新聞紙と同化していた。息子の髪を切ってきた私が知っているソレとはまるで違った。風呂場の床をひと掃きすれば集まる息子のゴワゴワとした真っ黒な塊を思い浮かべ「親の老い」を実感した。歳を取るということはこう言うことかと、妙に納得する自分がいた。それと同時に、春に小学校を卒業する息子のことが頭に浮かんだ。まだ、幼いと思っていた息子ももうすぐ、容姿を気にする年頃になり、「お父さんの床屋」も卒業していくだろう。

バリカンを片付けけながら、「老い」と「成長」の両側から寂しさに挟まれ複雑な気持ちになった。

ここで「お父さんの床屋」が閉店し、「息子の床屋」がオープンしそうだな。楽しみと髪のカットの量は半減しそうだな。想像してひとり苦笑いした。

そのうち、
「おじいちゃんの床屋」
になったりして…
孫をカットする妄想の中で、年老いていく自分に思いを向け、寂しさと楽しみでゆれていた。

バリカンよ。
私とお前の役目はしばらく続きそうだ。

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