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目が見えなくなったときのこと

僕は視力が悪い。基本的には家でしか眼鏡をかけていないので、意外に思われることも多いけれど、中学生の頃くらいから、毎日と言っていいほどコンタクトレンズをつけて生活しています。

乱視なんかもあるので、コンタクトをつけても視力は0.5ほどしか見えていません。元々の視力の悪さが関係していたのか今でもわからないのだけれど、今年の5月の終わり、それは突然にやってきました。

左目の視界がなんだかおかしい気がする、と気がついた次の日には、明らかに視界の真ん中がぼやけるようになり、すぐに病院へ。最初に行った病院では詳しいことはわからず、近くの大学病院で精密検査をすることになりました。

CTスキャンをとったり、血液検査をしたり、初めて目にする高額な医療費に悶絶したり(笑)。初めて体験する大学病院での診察に驚きながら、その結果が出たのは、目が見えなくなり始めてから2週間が経った頃でした。その頃には、僕の左目の視界は全体にモヤがかかった状態になっていて、コンタクトをつけて測っても、視力は0.01。真ん中付近と上の方は完全に見えておらず、しかも原因は不明でした。

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片目しか見えない状態というのは大変なもので、慣れないうちは距離感や平衡感覚が掴みづらいもの。外を出歩くとめまいがしました。しかしそのとき、僕らは『WEFT』のリリースを控えており、準備やプロモーションの真っ最中。もちろん休んでいる暇などなく、僕はやるべきことをこなしていきました。毎日の仕事をこなしていくうちに、「もしこの左目が見えないままだとしても、このミュージシャンという仕事は続けていけるな」という気持ちさえ湧いてくるほど。しかしその反面、今まで目が見えていたことのありがたさにも気がつく場面もありました。

「失って初めてそのありがたさがわかる」というのはよく言ったもので、もともと視力が悪い僕ですら、目が見えて普通に生活ができるありがたみを普段の生活の中で意識することは、今まで一度もなかったように思います。
最近、コロナで失われた日常も少しずつ戻ってきていて、odolとしては12月のワンマンライブのためにリハーサルを始めることができています。そんな今ひしひしと感じるのは、こうやって準備ができることも、準備したものを見にきてくれる方が居るということも、決して当たり前のことではないということです。

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僕の目は、その後1ヶ月をかけてすんなりと自然に治っていき、以前と変わらず見えるようになりましたが、最後まで原因はわからないままでした。今でも朝目が覚めた時、ふとしたときに目が見えるありがたさを感じます。失う前にそのありがたさに気がつくことはとても難しいけれど、これからはなるべくいろいろなことにしっかりと目を向けて生きていけたらいいな。

おまけ

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先日友人と食べに行った、外苑前の中華料理店「シャンウェイ」のスペアリブ。美味しいんだけれども、この外側にまぶされている唐辛子がめちゃくちゃ辛かった。
喉も大切にしなければいけないけど、たまには辛いのもいいよね(笑)。

ヘッダー撮影:野本敬大

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