「日常」の再認識と、「小さなことをひとつ」
こんにちは、森山です。
odolというバンドでピアノやシンセサイザーの演奏と、作曲などをしています。
noteの中にodolとして「odol | backyard」という場所を作り、
個人の記事としては初投稿となるので、話したいことは山ほどあるのですが
(backyardのコンセプトはこちら)
今回は何よりもまず、本日公開されたばかりの radikoブランドムービーと
そのオリジナルソングであるodolの新曲「小さなことをひとつ」の話をしようと思います。
監督は林響太朗さん
このムービーの監督は、odolの多くのMVや最新アーティスト写真を撮っていただいている林響太朗さんです。
また一緒に作れると聞いた時は本当に嬉しくてワクワクしたし、大信頼大尊敬の響太朗さんの前で、何が何でも良いものを完成させるぞと改めて気が引き締まりました。
とても素晴らしい作品が出来たと思っていますので、まだ観てない方はまずは是非ご覧ください。
この作品について全てを語ろうとすると、とてもひとつの記事では収まりそうに無いので
今日はコンセプトのひとつでもある「日常」というキーワードを中心に、話していきたいと思います。
2020年の3月と5月
このプロジェクトの話が初めて僕たちに届いたのは2月末のことでした。
それから具体的に音楽の依頼をいただいて、最初のミーティングをしたのが3月9日。
リモートでのMAで、初めてほぼ完成版に近い映像を観て、
思わず監督の響太朗さんに「感動しました!」とメッセージを送ったのが5月26日(先週の火曜日)。
この映像に描かれているような日常が当たり前だった頃に始まって、
ほとんど全ての作業を(多くの方々の協力のもと)自宅で進行し、
新しい日常が少しずつ始まろうとしている中で完成した、そんなプロジェクトでした。
「日常」という言葉のイメージ
「日常」というキーワードは、最初のミーティングから何度も出ていたほど、
この作品の軸となるコンセプトのひとつです。
他にもいくつかのキーワードや、ロケハンの資料、絵コンテなどを見ながら
監督の音楽のイメージを共有していただき、会話を重ねました。
あえて言語化するならば
“日常に馴染むメロディと、優しい肌触りがある、空気感と広がり豊かな音”
というようなものを目指していたように思います。
(漠然としすぎ!と感じるかもしれませんが、こういうものなのです。特に最初の打ち合わせでの会話は、ひとつの言葉の意味を追い込んでいくような哲学のような話になりがちです。そもそも音楽は漠然としたものです。)
しかし、今やこの曲を作り始めた頃とは「日常」という言葉の持つイメージが、僕の中で全く変わってしまいました。
皆さんはどうでしょうか。今年の3月頃まで使っていた「日常」という言葉と、今使う「日常」という言葉には何か違いがあるでしょうか。
良い作品を作るぞチーム
実は、このプロジェクトは3月末には一度完成に差し掛かっていました。
そんな中、緊急事態宣言が出され、チームの皆さんはかつての「日常」を描いたこの作品を、どのように完成させるのか、いつリリースするのか、
ということをとても誠実に考え続けられていました。
そして何よりも、良いものを作るということを常に優先しているように感じました。
音楽に関しても、当然、予定していた作業が進められないということになります。
予定通り進行するために、例えば一部を打ち込みで代用し完成させるという選択肢もある中で、
生で録りたいという希望を快く(とても前向きに)受け入れてくださり、また奏者やエンジニアの皆さんにもご協力いただいて
予定を大幅に変更しながらも、最高の形で完成させることができました。
人それぞれの「日常」の中で
最近では、僕個人としても、odolとしても
作り始めた頃には全く想像していなかった日常を送っていますが、
そんな時期の中でこの曲を作らせていただき、この作品に参加できたことを本当に嬉しく、誇らしく思います。
先週、完成間近の映像を観て我ながら心を動かされたのは
もちろん作品や映像自体の気持ちよさ、カットひとつひとつの美しさがあってのことですが、
この数ヶ月間に起こった「日常」の再認識が深く影響しているはずです。
「日常」は、平凡で何も起こらず、ドラマの無い日々です。
そんな「日常」の、かけがえのなさ、愛おしさに
この数ヶ月間、少なくとも僕自身は目を向け続けることになりました。
映像を観て音楽を聴いてくれる人それぞれの日常や非日常の中で
この作品が少しでも寄り添える瞬間があるとすれば、とても幸せです。
森山 公稀