ポリシーと執着〜保護者の保育参加から考える
2020-02-08 22:50:35
土曜日の今日、息子の幼稚園に行った。
行事などではなく、ただの園庭開放で、午前中自由に遊べる、というものだ。
朝、10時くらいに幼稚園に行くと、園庭で遊んでいたのは10数組ほどの
親子で、中には兄弟関係の小学生もいる。
みな、思い思いに遊び、昼食時になると、テラスで持参した弁当を食べ過ごす。
幸にして、2月らしからぬ暖かな天候で、外で過ごしても寒さを感じない気温だった。
妻に聞くと、一応、係の保護者がいるようでその方が、おそらく最後に現状復帰
できているかの確認をするらしい。
教職員の出勤はとうぜんないが、自宅が近い園長は、お昼時に少し顔を見せていた。
保育とは関係なく、保護者が主体となって園の場を開放する。
私立の、しかも個人園だから、可能なイベントかもしれない。
できる、できないは置いておいて、こういった保護者のマンパワーを使うという
のは、今後の園運営を考える上で大事なファクターである。
100人園児がいたら、100人の保護者がいる。その保護者は、なんらかの仕事に
携わり、専門的知識、技術、経験をおそらく有しているだろう。
また、専門的な知識でなくとも、園のイベントにコミットしていきたいと思う
人も一定数いるだろうと推測される。
そういった人たちの力を借り、園の保育の中で活躍してもらうのは、今後の
保育を考えていく上で必須になっていく。
言葉を変えれば、学校という場は長らく閉ざされた空間だった。
イマイチ何をやっているか分からず、意見をいうことも憚られ、特別な空間。
そんな流言とも言えるような常識が世の中に蔓延ることで、学校の中の
教師は孤立していく。何をやってもいいと勝手に思い込み、教室という
密室の空間で、自身の経験を子どもたちに強要していく。
「聖職者」とは、もはやコンプライアンスの観点から見ても、死語であろう。
そんな時代を繰り返さないためにも、学校という場は、常に開かれている必要が
ある。それは、学校公開という教育委員会から言われたから実施していますよ、
という「理念なき施策」ではない。
学校という教育の場に、保護者や地域のマンパワーを有効に取り込み、活用していくことが求められている。
我が園では、長年、保護者を園の保育に「入れない」という方針のもとやってきた。
遠足でも、保護者は参加せず、子どものみであるし、イベントや行事などの保護者の
手伝いは一切ない。未就園の保育でも、この年齢の保育では珍しく、完全預かりで
保護者は保育には入らない。
保護者の保育参加はしない
それを、ポリシーとして貫いてきた。
ポリシーとはなんだろうか。
言葉を変えれば、
流儀、理念、理想、こだわり。
広辞苑を開けば、適切な意味を調べられるのだろうが、ここで指摘したいのは
一つの考えを貫いていく姿勢を指したい。
これがしたい
これを大事にしている
そういったポリシーは、時として人を惹きつける。
例えば、ある東大和市の蕎麦屋では、地産地消をテーマに東大和で作られた
蕎麦粉しか使わない。よって、コストはかかるが、地元で育った蕎麦粉を
消費者に食べてもらいたいという信念の元、運営している。
個人的には、こういう「こだわり」がある店が好きだし、多少コストがかかっても
応援したい。
自分の思いや主義を貫くことをポリシー(流儀、理想、理念、こだわり)とする
ならば、成果が上がらないポリシーは、「執着」とも言える。
執着という言葉の元々の意味は、「ある物事に強く心が惹かれること」と、さほど
否定的な意味はないが、今日的な使用例を考えると、あまり良い意味では使われて
いない。
ポリシーと執着。
似たような意味であるが、その線引きを決める物は一体なんだろうか。
一つ、自分なりの解を求めるなら、そこには共感者がどれだけいるか、である。
彼、彼らの主張に共感できるのであれば、それはポリシーとなり、そのこと自身が
「特色」を生む。
しかし、その主張が、あまり共感されることなく、例えば保育として「質」に
コミットできていなければ、無用の長物。つまり、ただの「執着」に成り下がってしまう。
そう考えていくと、我が園の「保護者を保育に入れない」というのは、保護者の
視点から考えていくと、「特色」とは言い切れない一面がある。また、保育者の
視点から見ても、さほど質の向上にコミットしきれていないとも言える。
つまり、「執着」にみえなくもないほど、その主張が果たす意味合いが
見えづらくなっているように思う。
こだわりを捨てた時に、思いの外、自由になれることもある。
もちろん、ポリシーを持つことで、成長や変化をしていくことは全く否定しない。
しかし、そのポリシーが果たして、本当に時代にあっているのか、必要なのか、
自分を束縛している鎖になっていないか、時折、内省していくこともまた
必要なのではないか。
そんなことを感じた土曜日の暖かい昼下がりであった。