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コロナ禍の学校現場

 最近少し忙しかったもので何も書くことができませんでしたが、色々と考えてはいました。
 個人的なこととしては、来年度の職場復帰。そのための準備をしているところといった感じでしょうか。

 さて、今現在の学校現場は、どこも非常に苦しい状況です。特に小学校。
 現在のコロナの感染状況、国や自治体の対応と小学校の「学級担任制」というシステムが見事にマイナスの意味でマッチしており、どの学校にも人手が足りないということが起きています。
 
 具体的にはこういった具合。
①もともと人が足りない(フリーで動ける人が一人もいないなんてザラ、職員室は教頭一人いればよい方)

②担任が感染者、もしくは濃厚接触者になってしまい、長期間出勤ができない場合、「その学級の担任が不在」
→もともと担任が一人で回していた学級に、「空き時間」の先生が入れ替わり立ち替わり入ることになる
→学級のルールや文化がよく分からず、補教に入った先生も子どもも混乱

③補教で入った先生は、もともと少なかった空き時間を失う
→空き時間にやろうと思っていた仕事ができないため、放課後に回す
→放課後はコロナ関係で休んでいる子の家に連絡したり、課題を用意したりする
 また、同学年の先生が休んでいる場合、その学級の分の1日分の課題も用意する
→その結果、出勤できている先生の業務量、勤務時間が大幅に増える

④自分の学級に感染者が出た場合も、必ずしも学級閉鎖になるわけではない
→学級の多くの児童が休んでいるのに、学級閉鎖にならないので、授業が進められない(小学校では「授業が進められないのに6時間も学校に子どもがいる状態」は、はっきり言って地獄)

 さらに、通常の業務は待ったなしで進むわけなので(成績表、所見、来年度の計画、提出資料などなど)、どうにもこうにも回りません。加えて自分のクラスでトラブルなんて起きようものなら、頭が噴火するのではないかというほどです。

 お上は「学びを止めない」と言います。しかし「学校は止まっていない」状態ではあるけれど、明らかに「学びは止まっている」状態です。
 現場にいれば、どう考えても「先生」にも「子ども」にも、「よい学びができる状況ではない」にも関わらず、なぜそう簡単に休校にならないのでしょう。

 その理由の一つに、「2年前、社会全体が全国一斉休校を経験したこと」が挙げられると思います。
 あの時、「全国一斉休校」により、学校に子どもを通わせている保護者、つまり

『日本における多くの労働者』が働けない」=「経済が動かなくなる」

という状況が生まれました。休校になるということそのものが、労働者が働けなくなる、社会が動かなくなるという状況になるということを、社会が体験してしまったのです。そりゃあもう簡単に休校にはならないでしょう。仕方ない。

声を大にして言いたい。「学校は、託児所ではない」

 が、そこで現場で働いている教員が思うこと。それは、

「社会から学校へのニーズって、『よりよい教育』よりも、『子どもを預かってくれる』という比率が大きいんだな。」

ということでした。
 現場で働く多くの教員は「子どもに力を付ける」「よりよい教育を行う」ことに心血を注いで働いています。今の状況と国、自治体の対応を見る限り、

「学校よ、社会を止めないためにも、とにかく子どもを預かっていてくれ」

と言われているようでなりません。

 おそらく、このオミクロン株の感染拡大が収束するまではこの状態でいくでしょう。国や自治体の方向性には従うしかないと思います。
 ただ、現在の教育現場の困り感、大変さについては、きちんと整理しておくべきではないでしょうか。そして次にこういったことが起こったときに、現在の事態の二の舞にならないようなシステムにしておくことも大切だと思います。私としては、次のようなことを考えていかなくてはならないのではないかと思っています。

1、「学級担任制」からの脱却

 やはり、小学校における「学級担任制」には、もう限界がきていると思います。今回のオミクロン株流行での「学級担任不在の事態」は、それを象徴していると思っています。
 また、コロナウイルスのことがなくても、「多様な家庭、多様な保護者、多様な子ども」がいる中で、「決められた一人の担任が、国から決められたカリキュラム」をこなす、という現実。
 「多様化している」にも関わらず、「決められた人やカリキュラム」を、一つの教室に押し込んで教育しているわけです。
 この矛盾をどうにかこうにか矛盾しないようにやっているのが、現場の先生方です。
 しかし現場の先生方は、こういったことに対して、じっくりと考えて声を上げることができない、いや、そもそも考える暇すらないというのが現状でしょう。「おかしいな」と思っているのに、毎日をこなすことで精一杯なのです。
 このように、学級担任をするということは非常に難しく、デリケートな問題にも多々対応しなくてはならない仕事です。しかし、この実態を世間の多くの人は気づいていません。

2、高学年は「教科担任制」、低学年・中学年は「副担任制」

 そういったことを踏まえた上で私は、「高学年は教科担任制」、「低学年、中学年は完全副担任制」がよいのではないかと考えています。
 
 高学年では、1教科につき1人以上の教員の配置。学級数や教科によっては、授業時数の関係で2人以上になることもあるでしょう。ただそうすることで、「より多くの目で子どもの成長を見守ることができる」上に、「教員一人ひとりの負担が減る」と思います。

 低学年、中学年では1学級につき必ず副担任を一人配置します。こちらも、よりきめ細かな指導ができるとともに、急に担任が休むことになっても冒頭に書いたような混乱を招きません。また、初任者などがこの副担任の位置に入ることで、学級経営の仕方や授業の仕方について学ぶこともできます。
 
 現実的でないのは分かっています。かなりの予算を割いてもらわねばならないので、無理でしょう。ただ、これくらいの大きな改革(予算を割いてもらうこと)をしなくては、「教員はブラックだ」という社会からのイメージは払拭できないでしょうし、ますます教員不足、指導力不足の教員の増加、精神疾患で休職する教員の増加に拍車をかけることになるのではないかと思います。
 
 
今日は、最近ちょっと不満に思っていることをつらつらと書いてみました。何の調査も裏付けもなく、ただただ考えたことを書いてみただけなのでご容赦を。それではこの辺で。


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